昔、会社の旅行で美保神社を訪れた時は、曇りがちな空と、荒い日本海を見て、さみしい印象ばかりが記憶に残っていましたが、神話の世界から美保神社を見ると、「出雲大社と美保神社の両参り」を勧めるのも納得する、深遠なる歴史的背景がそこにはありましたひらめき

美保神社にお参りする道中、小さな神社にもお参りしました。


天神社


ご祭神 

少名毘古那神(すくなびこなのかみ)

以下、少彦名命で記します。


以前にも触れましたが、

伊弉諾尊伊邪那美の第二子。

第一子は、蛭子神=えびす様

第二子が、粟島神=少彦名命


少彦名命は、大国主命と共同で国造りした神です。

お二人は、美保の地で巡りあったのねひらめき



少彦名命の親は、独神。

古事記は、神産巣日神かみむすびのかみ

日本書紀は、高皇産巣霊尊たかみむすびのかみ

と記してます。


少彦名命も、天津神なのね知らんぷり


妻は、伊豆目比売命=市杵島姫命(宗像三女神)


兄弟に、思兼神や三穂津姫(宗像三女神)がいます。


 不安え❓


引っかかるものありますが、

まあ、次に進みます。



大国主命が、この岬で国造りについて思いを巡らしていると、美保の沖からガガイモの実(葉という説もあり)の船に乗り、を丸剥ぎにした皮を着てやってきた小さな神がやってきました。

小さな船には、「穀物の種」や「薬草の葉っぱ」を沢山乗せてたそうです。


ひ------

登場の仕方が、可愛いすぎる〜目がハートキューン飛び出すハート

船漕いでたのかな。


どんぶらこ〜どんぶらこ。

一寸法師だわ〜看板持ち



大国主命に同行して国造りを手伝うことになる少彦名命の、最初の出会いは和気あいあいかと思いきや。

意外とそうでもないです真顔


〈國學院大学 古典文化学〉

名前を問うたが答えず予防

反応しなかったらしいです。

大国主神に従う神たちもわからなかった。正体を知る久延毘古が、神産巣日神の子の少名毘古那神だと明かしたので、それを神産巣日神に申上すると、神産巣日神はそれを肯定して、子供らの中で自分の手の股から抜け出た子だと述べ、更に、大国主神と共に葦原中国を作り堅めるよう告げた。そうして二神の共同で国を作り堅めた後、少名毘古那神は常世国に渡っていった。

(以上)



国造りの始まりから、国譲りまで。

大国主命と、美保の地はとても関係が深いようです。



ところで、

カガイモって❓


ガガイモの実は、こちら。


(ネット転載)

ガガイモの葉っぱより、
実を半分に割って船にしたほうが納得感あるな。

これを船に?
かわいい〜目がハートキューンキューン

ガガイモの葉↓  船にするのは困難真顔

(ネット転載)

鵝(ガ)を丸剥ぎにした皮を着てとは❓


鵝をそのまま受け止めると、ガチョウ。

鵝ではなくて、蛾の間違いでは?とも言われ、蛾→蛾の幼虫→ヒムシ(蚕のさなぎ)ではとも言われてるみたい。


ガチョウより、蚕のさなぎの方が日本のイメージにしっくりきますが、少彦名命は日頃ミソサザイ(鳥)の格好してたらしいから、やっぱりガチョウの皮に認定!




ミソサザイって、小さい雀みたいな鳥らしく、とっても地味らしいです。


目立ち屋さんじゃないんですね知らんぷり



大国主命に同行して国造りを手伝うことになる少彦名命は、大国主命の知恵袋となり、農耕と生活文化を伝承し、国造りしたと言わています。


少彦名命の得意分野は、

医療や薬

温泉

禁厭(まじない)

穀物

知識・智慧

酒造

石の神

などなど


普段の生活に必要なものだらけ。

多様な性質を持ちあわせた神です。



国造りがひと段落した頃、豊作となった粟を登っていた少彦名命は、粟の茎にはじかれて常世に戻ったそうあんぐり

最後まで、かわいい〜。
小さいってかわいい!
ちいかわ!

でも、功績は超偉大!

国造りからの国譲りに向けて、天津神が少彦名命を遣わしたんだと思いますちょっと不満
大国主命もわかっていたはず真顔
でも、二神の間には強い確かな絆が生まれてた気がするんですよね。

伊予で、少彦名命が瀕死に陥った際、嘆き悲しんだ大国主命は、地下を通して大分から「速見の湯」を引き、少彦名命を入浴させて蘇生したという逸話があります。
伊予にいながら、大分の湯を地下から取り寄せる。その意味するところは掴みきれませんが、大国主命の「(少彦名命に)生き返って欲しい」願い。そんな強い祈りが、その行動に表れていると感じました。

偉大な二神により、日本の国造りが整いました。