美保神社のご祭神について、
更に更に考えてみました
事代主神(ことしろぬしのみこと)は、
■父が、大国主命。
■母は、神屋楯比売命(かむやたちひめ)
(多岐津比売命、湍津姫命など=宗像三女神ともいわれています。素戔嗚神の物実から生まれた姫神です)
建御雷神(たけのみかづち)など
天津神達から、国譲りを迫られた大国主命は、
最終判断を
息子の
事代主神と
建御名方神(たけみなかたのかみ)に
委ねます。
事代主神は、託宣(たくせん)により、国譲りを決めたそうです
託宣って、神仏が人に乗り移ったり、夢の中でのお告げのことだそうです。事代主神は、託宣の神でもあります。
一体全体、どういうシチュエーションだったのでしょう。興味津々。
美保ヶ崎で釣りをしていた事代主神に、建御名方神が国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答えて、船を踏み傾け、天ノ逆手(あめのさかて)を打って青柴垣(あおふしがき)に変えて、その中に隠れてしまったそうです。
天の逆手を打ち、船を青柴垣(あおふしがき)に変えてその中に隠れたことに対し、事代主神は「天津神を恐れて逃げたのでは」とか「呪術使ったでは」とか説がありますが、よくわかりません。
青柴垣とは、青葉のついた柴 (しば)=雑木 で編んだ垣根だそうです。めちゃくちゃ庶民的な結界!
参考になるのは、青柴垣神事かな?
青柴垣神事の説明↓
春(4月1日〜4月7日まで)に、美保神社や美保の港では、青柴垣神事が行われます。
由来は、国譲り。
4月7日、美保関に高天原が出現し、出雲国を天津神の御子に譲ることが決断されるのです。大国主命に国譲りを献言した事代主命は、乗っていた船を青柴垣の神域に変化させ、その中に籠もって自決。
青柴垣の中で神への再生の秘儀が行われるのです。桜がふぶき、真っ赤な蛇の目にふりかかります。
神話の故郷の、壮大な神々の物語。決して消えてはならない日本の素、日本の原像です。(以上)
物理学者で、ノーベル物理学賞をとった湯川秀樹博士は「日本の精神が凝縮した祭り」と評したとのこと。
え、湯川秀樹さんて、めちゃくちゃ神と反対側に居そうな方ですが、神事に対する造詣が深いお言葉が意外ですびっくり
青柴垣神事での事代主神は、ニコニコ商売繁盛の神のイメージとは真逆です。
普段は、釣りを楽しんだり、夜な夜な姫の元に通って鰐(鮫)に足を噛まれ、時刻を間違った鶏にキレる。
そんな、のん気な神様ではなく、大国主命が苦労して作り上げた国を、天津神に譲るにあたり、大国主命の一族の証しを現在に至るまで刻印し、今なお信仰を集めているのですから。只者ではごさいません
皇室に匹敵する歴史を持つ、非常に古い氏族である賀茂氏は、事代主神を祖としています。
一族の出身者で最も有名なのは、修験道の開祖・役小角です。賀茂忠行は、安倍晴明を、見出した人物。
このように、賀茂氏は修験道や陰陽道の成立・発展に深く関与しており、呪術的な色彩が非常に濃いのですが、事代主神の呪術的要素の強さを改めて知りました
弟の建御名方神は、最初は抵抗し、力で対抗しようとしますが、結局服従し、諏訪に鎮まります。
建御名方神を主祭神とする諏訪大社は、武家の守護神として、古くは神功皇后の三韓出兵や坂上田村麻呂の東夷平定にも功助ありと伝えられています。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康など歴代の将軍からも篤い信仰を受け、現在でも、全国に一万余社を有する神社です。
大国主神は国譲りを承諾。
「事代主神が先頭に立てば私の180人の子供たちも事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言ったと。
おっとどっこい。
いつの間に、大国主命に子が180人も〜わなわな。
大国主命の180人ものお子さんの中から、国譲りの際のキーマンとして選ばれた 事代主神と建御名方神は、すごい神なんだと思います
そもそも、素戔嗚尊の娘の須世理姫から、三穂津姫命に后を変えさせるのもひどい話
聞き捨てならない思いがあります。
この頃、姫君達は、自分の意思と政略結婚の間で苦労してたんだろうな。
素戔嗚尊、大国主命、事代主神などなど、国津神は実力すごいのに(素戔嗚尊は、もとは天津神ですが)、出来すぎるが故に、天津神からとんだひどい仕打ちを受けますが、そこを忍耐と見極め、まわりの手助けでもって乗り越えていきます。
それが、一見負けたように見えても、後で振り返ると、珠玉の選択肢だったり。
それが、日本の原風景?
まだまだ、理解不十分。
調べ始めると、次から次へと疑問生じます。
なんだかな〜。
父が、骨董品夢中で調べてたけど、いつの間にか自分が似たようなことし始めたことにドッキリ。
でも、調べるの面白い
http://mihojinja.or.jp/sinji/02.php
https://www.nippon-matsuri.net/report/aofusigaki/