播磨の一宮神社。
伊和神社

ご祭神 大己貴神(おおあなむちのかみ)
→大国主命のことです。

配神 少彦名神下照姫神
→大国主命のパートナーと、娘さん。

御三方が気楽にお住まいになれそうな組み合わせニコニコ
でも、それぞれの持つ神力合わせたら、すごそうあんぐり


狛犬さん、片方しか撮影してない失態悲しい

え、犬あんぐり
猿の顔した犬あんぐり

ユーモラス過ぎる。


拝殿。
歴史感じます。


御由緒

大己貴神(大国主命)は、国土開発、医療の発展に務め、人々の幸せと世の中の平和のために尽力した方。

ことに、播磨の国は特別な恩恵を受けたことが播磨風土記に書き記されているとのこと。



裏手に、鶴石


鶴石の御由緒

昔、伊和恒郷に、ご託宣があり、一夜のうちに杉、ヒノキ数千本が生い繁る広大な聖地ができ、空には鶴が群れをなして舞っており、その中の大きな二羽が石の上にとまり、北を向いて眠っていたので、その跡に神殿を造営したとのこと。

神殿を北向きなのは非常に珍しく、諸説の一つがこの「鶴石」の伝説といわれる。



ググりますと…
本殿北向きは、妙見を祭る神社に多いみたいです。

神様が北極星を仰ぎ見る配置のため。


伊和神社の創建は西暦144年とかなり古いので、星信仰との関係があるかどうかは全くわかりませんが、播磨の国は、陰陽師にとっての中心地でもありますし、播磨の土地柄になんか関係ありそうな気もします。


勝手なイメージですが。



鶴石って、要石と取り扱いがそっくりです。
関係あるのかな。


摂社
播磨十六郡神社、東八郡


五柱社
天照皇大神
国底立大神
宇賀魂大神
猿田彦大神
須佐之男大神


御霊殿


拝殿の左右に、


鶴が。


落ち着いた本殿。


播磨風土記によると、
大国主命は、この伊和神社で「おわ(国づくりが終わった)」と、つぶやいて鎮まったそうです。


ふと、
一の宮のことが気になり、軽く調べてみました。

一の宮って、全国で102社、108ケ所あるんですね。
北海道 10社
関東 13社
甲信越 19社
東海 14社
近畿 17社
中国 16社
四国 4社
九州・沖縄 15社

一の宮分布図ダウン


「一の宮」は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて逐次整った一種の社格で、朝廷や国司が指定したものではなく、諸國において由緒の深い神社、信仰 の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の序列が生じ、その最上位にあるものが「一の宮」とされ、以下、二の宮・三の宮・四の宮と順位がつけられたそう。時代の変遷とともに変化もあり、一国内に二社以上の「一の宮」が存在することもあるとのこと。


だから、福山に吉備津神社と素戔嗚神社が隣接して一の宮として存在するんだと、一旦納得ニコニコ



一の宮に、八幡宮、各地域の小さな神社や祠。お寺も含めると、無数の神社仏閣が、全国津々浦々で日本を守ってる感じ。



ふと、小さい頃に、近所のおばあさんから「手を合わせて感謝せんといけんよ。感謝せんでも神様も仏様も守ってくださるけど、感謝しなかったら疲れてじゃけね」と言われたこと、ふと思い出しました。

一方で、若かりし頃、母が亡くなったとき、神も仏も無いと嘆いた時もあります。
近しい家族が、突然亡くなった時も。

神仏ってなんだろう。
まだまだ考えていきます。