「退職までの8年間」

私は公的機関の非常勤として

勤務していました。

その間にあった出来事を綴っています。

 

8年間のまとめ

→50代~8年間

 

私はカウンセリングを学び、対人相手の仕事の中で自分を見失わないように努めてきた。しかし、最後は自分を見失い、見失っていることさえ気づかなかった。

『12月からの出来事の意味』

次に向かうため、辞めてからすぐ振り返り、それなりに納得した。

 

しかし

『この8年間は何だったのか』

『なぜ自分はこうなってしまったのか』

それを知るためには8年間の振り返りが必要だったが「あまりの多さ、個人情報、自分を縛っているもの」があり書けなかった。時が立ち、トラウマも薄れ、縛るものが無くなったので「次に向かうため」書くことにした。

 

職務経歴書作成や応募動機支援を重ねていくと、人のシナリオを作っている感覚になる。自己の「強み・良さ」を引きだすのが目的だか、その過程の振り返りで「仕事に就いた理由」と「その成果」が見えてくる。私も自分の振り返りで、これまでやってきた「仕事の意義」が理解できた。

 

しかし

『8年間』

意義も成果も導き出せなかった。

 

この仕事は挫折感で終わった

不採用とか評価されない、とかじゃなく「人を助けたい」という自分の思い(使命とさえ思っていた熱い気持ち)を全く失った先に終了があったから。もう一ミリも人を助けたい気持ちは無くなった。「生活保護受給者」の就職支援をしたことでたくさんの矛盾にぶつかり、頑張れば頑張るほど心身に不調をきたす人を多く見てきた。

 

制度に問題があるんじゃないか?

資本主義の限界じゃないか?

何で変えられないんだ?

人の意識の問題か?

 

そして、今は・・・

「根本から違うんじゃないか?」

と思っている。

 

「8年間」の答えは1つだけじゃない。

そして、「8年間」で考えた色々→「人間」「メディア」「政治」「制度」「社会の仕組み」「日本を支配するもの」は、今に繋がっていると感じる。

 

今も「8年間」の答えがドンドン見つかっているが、始めに気づいたのは

『神は悪魔の形をしてやってくる』

悪魔=部長

 

「思いやり全くなし」「人の気持ちがわからない」「破壊するだけ」の上司はこれまで初めて。その人は人事権を握っており、大量解雇指令時期にやってきた。この部長だから私はこの組織から身も心も離れられた。このまま行ったら命もヤバかったかもしれない(現に後任は亡くなった)。私の守護霊様が部長を使わしてくれたのだと思う←スピ発動!

 

その年の年末年始、私はおかしかった。

「白い巨塔」「砂の器」「二人の天使」など、悲劇的・悲哀的な曲を何度も聞いた。この仕事をしたそれぞれの時代が走馬灯のように浮かび1人で号泣した。後から後から涙が溢れ「頑張ってきたなあ」という思い、歓喜の涙も交じっていた。応募はまだ先なのに「まるで最後みたい」と思った。公募面接に行く道すがら「この風景を見るのはこれで最後」という気持ちになった。

予感は経験から導き出せるので、この感覚は異常ではない。長い間接してきた「人の表情・言葉・態度・出来事」が私の脳に蓄積され、それが予感の下地になっているのだろう。

 

私は

『無駄なものは何一つない』

と思う人間。

『どんな出来事にも意味があると』

信じる人間。

だから『全ては学び』という意識を持ち、これからも前向きに生きていく。