「退職までの8年間」

私は公的機関の非常勤として

勤務していました。

その間にあった出来事を綴っています。

 

4月、所属部の部長が変わった。

部長(女性)は上部組織からの異動で悪い評判があった。

 

以前、彼女(現部長)の研修で、私の隣り人が「彼女からパワハラを受けた」「こういうことをされた」「彼女はあんなことを言っているけど実ホントは・・」と言ってきた。隣の人は同じ非常勤だが見知らぬ人。当時、彼女(現部長)にパワハラを受け、追い払われる形で別部署に移ったとか。

その時は

「まさか!それを取り締まるお膝元でやるだろうか?」

と半信半疑。

 

彼女は一見、カラッとしていて、歯に衣着せぬもの言い、この組織にしては珍しいタイプだった。

人を良く見るように心がけている自分は、「噂や印象に惑わされないようにしよう」「先入観を持たないようにしよう」と戒めた。

しかし彼女を知っている同僚は、悪口を言いながらも危機感を持っていた。所属部(私は出向)で大変なことになっている、と知ったのは三男孫が生まれホッとした後。

その頃、借りていたマンションを引き払い、1日置きにホテルに泊まる(会社には内緒)という生活をしていた。通勤大変で借りたマンションを引き払ったのは住み心地がメッチャ悪いため。

ある日「あっ、格安ホテルに泊まればいいじゃん!」と閃いて計算した→10日泊まってもマンションの家賃より安いニヤリ

その頃、コロナの観光キャンペーンで「注射回数と住まいの条件」を満たせば、かなり安く泊まれたシティホテルでも4千円チュー

12月からホテル泊を開始した。

 

暮れも押し詰まり、事業目標、数値進捗、予算と人事、非常勤公務職アルアルの時期になっていた。

数値目標を達成しなければ来年崖っぷち(連続未達成のときは撤退)。数値は2つあって両方でクリア(片方だけではダメ)。

1月に同僚が入院するので12月が勝負!

12月は採用が多い・・・

「人=数字」の感覚でサクサクこなし

目標達成笑い泣き

気づいたときには、疲労感が強く、食欲も感情もなくなっていた。朝はパン1個、昼は外食(ほとんどスパゲティ)、夜は🍙1個程度。咳き込み、胃腸の不調は常態化。1月は風邪のせいか職場で吐いた。このままいったら倒れるかもしれないと思っても「それならそれでいいや」「その方が楽かも」と思考停止。食事を作ることは放棄し(土日はなんとか作る)、夫からは「大丈夫?顔色悪いよ」と心配された。

 

そんなとき、部長による次年度任用ヒアリングが始まった。

 

→中へ続く