本日、3月20日12:06は何万年に一度の特別な《春分点》となるそうです。
以下、あるブロガーさんの記事よりお借りします👇
「太陽光線と,地軸が直行する、春分点を迎える」
「南中時刻といって、太陽が一番真上にくるのが日本」
「出雲大社と伊勢神宮の中心⛩️」
「北海道と沖縄の中心地点に太陽が真上に来る」
「日本の零0ポイントの南中と地球全体の瞬間となる「春分点」が重なる」
 
私は先週知ったのですが、この6分から1分間、願い事をすると叶うとか💗
プラスの願いごとが良いようです。
 
滅多にない『春分の日』を向かえた本日。
記念にブログを挙げようと書きました。
 
私にとって「春分の日」は特別な日です。
23年前の春分の日
この日から自分が変わりました。
終わりの始まりの日です。
新たな出発は地獄!
 
一筋の光も見えなかったけど、実は光は近くにあって、闇に落ちたから気づけたのかもしれません。
 
私は48歳のときノートに
『八木重吉』さん⇒1898年生まれ、詩人、英語教師
の言葉を書いてました。
「この かなしみを よし とうべなうとき そこにたちまち ひかりが うまれる ぜつぼうとすくいの はかないまでの かすかな ひとすじ」
 
64歳の年になるまで
「光が見えると新たな闇が来て、また光を見出すと新たな闇も見える」を繰り返して来たように思います。
その結果「受け入れ=許容」が増えてきました。
 
今年は羽生君の「ノッテステラータ」に希望の光を感じました。
特に感銘を受けたのは
「大地真央さんとのコラボ」カルミナ・ブラーナの演技です。

運命に翻弄されあがきつづけるも、そのうち運命を受け入れ、前を向いて歩く。その先にあったのは、白い衣装の笑顔輝く大地真央さんだったのです。
 
大震災のときのメディアは「悲しみ」しか放送しませんでした。でも私は、津波被災者の方が「悲観にくれてばかり」でなく、打ちひしがれながらも仕事を探したり、他の県に行こうとしたり、自然災害を恨まず受け入れ、新たに歩き出そうとしている方を、たくさん知っています。もちろん就労年齢の方が来る職場だったからですが、その後メディアは人のせいにし始めます。
 
絶望しか煽らないメディアの実態を知り、羽生君の悲しみがメディアに利用されている気がして、震災に絡んだ羽生君は苦手になりました。
 
でも、今回のノッテステラータが、競技時代から感じていた羽生君の精神(絶望でも諦めずに可能性(光)を探していく姿勢)と同じであり、その姿勢はずっと変わらなかったんだと知り、嬉しくなりました。
 
今日の春分の日は
12:06
皆に「希望の光」が来るように祈りたいと思いますお願い