「退職までの8年間」

私は公的機関の非常勤として

勤務していました。

その間にあった出来事を綴っています。

よろしかったらお読みください。

⇒前回まで

 

<敬老の日作戦とは?>

 

孫2人が「祖母様(ついでに祖父様も)敬老の日、おめでとう」と花を持ってやってくる。

そこで何気に

私「息子、付き合っている人いるんだって」「あっ、この前一緒に墓参りに来た人らしいよ」

息子「結婚を前提に付き合っているんだ」

と言う。

 

その前段階を踏んだ後、しかるべき時に

私「結婚したい人がいるって」「敬老の日に言った人」「子どもができたらしい」「先方の親も了解している」

と言う。

 

敬老の日は上手くいった。あと「しかるべき時」はいつにするか・・・

 

その頃、ファギュアスケート好きで羽生君を応援していた私と母は、セイメイの300点越えでウキウキしていた。私も息子の面倒(息子と彼女は喧嘩ばかりしていた)にげんなりするも、羽生君の快挙で元気づけられていた。そしてやってきたグランプリファイナル!海外だったのでテレビは録画。結果は新記録で優勝。

「今夜だ!今夜しかない」

母、上機嫌を見込んで今夜の決行となった。

 

羽生君が始まる前のタラタラと流れる演技を、何だかんだ言いながら見る私と母。よし!今だ!

 

結果は「し~ん・・」

そこに現れた羽生君のセイメイチュー

 

「凄いね~、良かったね~」

と喜び合う私と母爆  笑

 

空気が一変した

 

良かった!

ありがとう、羽生君、グッジョブグッ

 

妊娠しながら「私、結婚しない」など、元嫁が繰り出す言葉に息子は右往左往し、「どうなる!結婚」滝汗 とげんなりしていたが、ひとまず年内に入籍をした。

 

 

年明け・・母に胆管癌が見つかった。

進行は「レベル3と4の間」

手術を選択し、息子の結婚式の5日前、10時間におよぶ手術をした。

 

手術後、母は食べ物を受け付けず、鬱状態のようになった。母もお医者も頑張って大変な手術を乗り切ったのに、手術を後悔するようなことを言った。次第に私も鬱っぽくなり、気の毒に思うとともに「良かったのか?」(初め母しないつもりでいた)と後悔し、我儘に聞こえる言動にイライラし、母に会うのが苦痛になった。

 

そんなとき始まったのが羽生君の世界選手権。

私は羽生君のために、そして母のために(多分自分のために)優勝して欲しかった。しかし・・結果は怪我が原因で2位ショボーン ショックで生きる気力も無くなってしまった。