「退職までの8年間」

私は公的機関の非常勤として

勤務していました。

その間にあった出来事を綴っています。

よろしかったらお読みください。

 

勤務先では・・・

課長は今年も変わらなかった。

重鎮就労支援員が

「課長、今年で定年だからね。やる気ないんでしょ。去年より酷いよ。全然ケース(被支援者)まわって来ない」

と呆れたように言った。

 

我が家では・・・

父が尿管結石の手術することになった。待てない父は、病院の待ち時間が苦手。「まだか」と受付に何度も聞きにいく。なのに医者の前では謙虚で、聞こえないのに「はい」と返事し、模範的な患者になる。

 

私生活では・・・

元夫と連絡が取れ東京で会うことになった。

⇒50代~元夫の消息⑥

 

羽生君ファンになった私はアイスショーを見たくなった。たまたまネット検索した日は羽生君inの日だった。チケットゲットも神がかりだった。

⇒記憶の旅~初めてのアイスショー申込み

⇒羽生君とアイスショー

 

羽生君アイスショーの日は、私の守護霊「ひい婆さん」の命日で、元夫と再会した日となった。

⇒記憶の旅~もう一つのファンタジーオンアイス

 

8月、私は子供たちと元夫を会わせた

⇒50代~元夫の消息⑦

 

帰り際、息子の言葉が引っかかり

翌日、小分けした現金封筒を確認

総額2万くらい不足していた。

 

 

そして迎えたマンドリン演奏会音符

昨年入会し2回目。

この年は大学時代の友人数名と再会、そのうちの1人がサークルに入会した。

 

演奏した曲の1つ『望洋の詩』

震災の年、テレビでよく流れていた。

当時、地域限定のこの曲に、心が癒されたものだ照れ

そして作曲者は「大学時代の合同演奏会の指揮者」であることを初めて知った。

(つまり知っている人だった)

※「望洋の詩」には「海に向かう心穏やかに」、という奥付がついているが、これは作曲者曰く、鎮魂を意味するものではなく、海辺の住む仲間たちが震災後にもう一度集まって合奏できる事を願ってのもので、明るく表現して穏やかな海を表現したいとの意向を持っての事である。本作で謡われる海は宮城県の金華山を望む牡鹿半島御番所公園から見渡したコバルトブルーの南三陸の海との事を付記したい(抜粋)

 

 

以前一緒に演奏していたメンバーが、時を経て、30数年ぶりに再会おねがい

震災時に聞いた曲とも再会照れ

10年ぶりに元夫との再会も果たしたえー

 

羽生君のアイスショーは幕張!

翌日懐かしの友人との再会を果たしたあと、

帰りの新幹線が『小笠原沖地震』で大幅に遅れた煽り