私の場合、

落ちて助けられたのは言葉だけでなく、

親や親戚の援助(お金)もあるし、

仕事を得た安堵(お金)も大きい。

特に親の援助がなければ生活が成り立たなかった。

一番大きな助けだったと思う。

 

それでも言葉に救われたと感じ、それを職業にしたのは、多分心に強く残ったからだろう。

 

最近娘が看護師の仕事について悩んでいる。

その娘が

「私が看護師になりたかった一番のきっかけは、病気のとき励まされた看護師の言葉と優しさ」

と言っていた。

なりたかった看護師像があり前向きに頑張ってきた。しかし現実の看護師業務は・・(これじゃみんな辞めるよという内容)、その溝が大きくなりもはや埋められなくなった。もちろん以前から同じようなことを言っていたが、育休取ることでどうにか持ちこたえてきた。

 

感動と感謝という美しい気持ちで仕事を始めたのに、

現実を知って気持ちが萎えていく。

燃え尽き症候群となるもお金のためにイヤイヤ続ける。

 

これは娘だけじゃなく、私もあったことで、多くの人が経験していると思う。

特に期待が大きいとダメージも大きい。

ならば長く続けられる人はどんな人だろう?

けっこう我が強い人だ(私が私が)。

仏教でいえば「良くない部類」に入る。

 

「助けてもらったから」の動機はモチベーションとしては高いが、現実社会では弱い。感動や感謝で始めた仕事は『落ちて上がって』を繰り返さないと維持できない⇒だいたい落ちっぱなしで終わる。

 

『自分で自分を保つ』

『悪霊は自分で祓う』

そんな意気込みと強さが必要なのかもしれない。

 

ここでまた羽生君入ります👇

羽生君の「応援よろしくお願いします」は、

現実社会でやっていくにはたくさんの助け(応援)が必要になるのと、

「1人1人もっと強くなれ」

「悪霊に負けない強い光を出せる自分になれ」

と言っている気がします。

※悪霊→誹謗中傷嘘記事などのネガティブエネルギー