再婚夫がまたやらかした。
悪いことをしたのではなく、よく腰や背中や首を痛めるのです。
整形外科に行っても骨に異常なくシップと飲み薬だけ。
可哀そうなんだけど、大事なときとか、出かけるときとか、
私が忙しいときに限ってやらかす。今日は娘んとこに1泊
で行く予定だった。
私も40代のとき、椎間板ヘルニアで手術したし、ぎっくり腰
も何度か体験。だから痛みの苦しさは理解しているが、
暗~い顔して居間にいられるとこっちまで陰鬱になる。
痛みに弱すぎるんじゃないか?
大げさすぎるんじゃないか? と思ってしまう。
何故かというと、再婚夫は4人姉兄の末っ子、親は甘々で
否定されたことはなかった、とか。体調悪いというと、
家族全員「大丈夫か?」と過剰に心配する環境に育ったようだ。
そのため何かあるとすぐ医者に行く。薬に頼る。
対して私は、1人っ子だったけど重病じゃなければ医者に
連れていかれなかった。
38度の熱があっても「市販の薬を飲んで寝てれば治る!」
母は、私が「具合悪い」「熱っぽい」などと体の不調を訴える
と心配するどころか機嫌が悪くなった。
家族全員、よほどのことがなければ病院に行かなかった。
どっちもどっちだが、環境が違うといらぬ誤解を生む。
再婚夫の体調悪化が「わざとじゃないか、邪魔してんじゃないか」
と思うのは
①母の葬儀・納骨で腰悪くし立てず。
②父が要介護5で退院した3日後腸閉塞で手術。
③娘の産後手伝いで行っているとき高熱、帰るはめに。
④社内引越しでどうしてもどうしても出なくてならない日にやらかす。
⑤同僚が手術・入院で休めないときに限ってやらかす。
それを私は「かまってちゃん」から来ることもあるのでは・・・
と考えてしまうのだ。
しかし今回、心を広くし別な視点から考えた
最近片付けや備蓄を精力的に行っている。
これまでの経験から、意志より体が勝手に動く時は
「このためだったのか」と思える未来が待っていた
これまで無意識的に準備をする原因を、天災とか家族
など、自分以外に探していた。しかし今回↓
『私だっていつどうなるかわからない、そのために
動けるうちに動こうとしているのかもしれない』と解釈。
原因自分説に気づき
『動けるうちに動こう』という気持ちになった