いつも読んでくださる大切な方へ
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コロナ禍で世界中が大変なことになり
生活が変わり困惑してる状況です。
それでも、ホッとしている人もいるのでは
ないかと思います。
心が無(死)くなるような
行きたくないやりたくないと
押し潰されそうになって
無理をしている状態から解放されて。
このままでいいのか考え見直し変えていける
変えざるおえないように、なっていっている。
以前、病気で入院し全てから解放されたとき
心が楽になりました。
見直し変えていく機会だったと思います。
でも、退院後も元の生活に戻り続けてしまいました。
会の活動は、正しいことだっただけに
辞めることに罪悪感を感じました。
だけど合わなくなってしまっているのに
合わせている自分との葛藤がストレスになって
いました。
宗教ではないのでお祈りなどはなく実践です。
会(行事)の実践が練習で、家庭の実践が本番。
自分の思いを挟まず我をとる実践は
「はい」と言う実践。
できる人もいます。
強制ではないので徐々にできるようになればいいのです。
会でも「はい」家でも「はい」。
家が本番でも、会の方を優先に…でした。
家族に理解があればよいのですが
反対されれば板挟みです。
反対されるので言えなくなって(隠す嘘つく)
続けるのは苦しくなりました。
応援してもらえない自分は
実践不足、相手の心に入ってないからと
そこで、また自分責めをします。
一家に一人する人がいれば、周りにも浸透していくというものでした。
私は途中で、元夫と変わって欲しいと思うこともありました。なんで私ばかり~
「辞めろ」と言われても続けていたのは自分です。
学んで良ければ、人にも伝え広げる普及と
冊子の頒布。
冊子は、器を広げるために
できると思うよりも多くいただきます。
(自費です。他も)
朝から家にいず、働かず、お金はかかる。
朝の集い、午前中の頒布、午後は座談会、夕方の報告
夜は翌朝の演壇を考え
それだけに、させてもらうのに心を使い謙虚でなければならない、それも実践です。
会の行事に合わせられなくなると罪悪感が湧き
した方が心が軽く、軽いけど続けると重くなる。
してもしなくても同じです。💦
自分作り、良いことではあっても
過剰に感じてしまい負担であれば考えものです。
何でもやってみないとわからないです。
合わなければ辞めてもいいと
自分になかなか許可が出来ませんでした。
背中を押されてなければ出来なかったです。
続けるだけが学びでなく
続けるのも、辞めるのも
学びであり実践なのではないかと思います。
今は、会も随分変わり以前のようでは
ないようです。
炭酸が飲みたくなるときがあります。
超、極、激、凄、こんな文字のついた商品
気になります。
最後まで読んで頂き
ありがとうございます。