2015年10月3日付続き


※ この記事はステロイド治療への切り替え記録となるため、以下に保存しています。
テーマ【ステロイド治療切り替え】




今回のステロイド使用のきっかけではありませんが、私が脱ステをどう考えているかについて、もう少し補足します。
前回書いた私が自分の脱ステ中の生活品質をどう考えていたのかについてです。


去年からの1年間は通年通して調子が底辺を行ったり来たりしていたため、この状態はこの6年間で一番満足いかない内容でした。


例えば、脱ステ から6年間全てが、この1年間と同様に、ほとんど良くならずに底辺ばかりを彷徨っていたなら、私の目標には届かないと思うので、私にとって脱ステは意味がないものとなっていました。
私には合わないと数年で見切りをつけていたと思います。


生活基盤を整えるのが一番の目的と言いましたが、そこまで整うのなら当然痒みだって軽くなっているだろうし、外見も多少の肌荒れや生活の制限等があったとしても、精神的な負担にならない程度に綺麗になっていると思います。
私にとって脱ステの目的は、「生活ができれば外見はどうでもいい」なんてはずはなく、外見も含めての目標がありました。


最初の5年間は、平均して1.5年に1度劇悪化があったのが問題だったものの、それ以外の期間は少なくとも顔に関してはメイクもできたしアトピーには見られないばかりか肌を褒められたときもありました。
今となってはあの頃の自分が羨ましい限りです。


いい時期は、首や手や腕のシワや色素沈着で「肌が弱いの?」と聞かれたことはありましたが、顔が綺麗だからアトピーだと思わなかったと言われていました。


ファンデなんて塗ってないのに、「塗ってるかと思った。なんでシミとか肌荒れとかないの?」と言われたこともあるし、「みぃみたいな普通の人のは分からないと思うけど、私はアトピーだからマフラーとか痒くてできないんだ。」とステロイド治療をしていると思われる軽~中程度のアトピーの人に言われたこともあります。
いや、時期によっては私の方がずっと重症アトピーなんですけどね。


もちろん、見た目がいい状態の時は痒みは意識しなければ感じないくらいに軽いもので、生活にも制限はあまりなく、動く体力もありました。
なので、劇悪化時期以外に関しては生活品質に関しても十分に満足いっていました。


壮絶なリバウンドを耐えて乗り越えた後に、アトピーではない普通の肌の人達に、子供の頃からのアトピー肌を本音で褒めてもらえたというのが最高に嬉しかったんですよね。
それが、いつも支えにもなっていたようなもんです。


ただ、私は一度劇悪化してしまうと、全身の汁が出続けて一晩でバスタオル5~6枚ぐしょぐしょに濡らして生活レベルが一転する期間が2ヶ月程度、そして前後1ヶ月は、何とか通勤や日常生活が送れても、痒みと痛みと汁や落屑で生活が辛い状態になる。
これは言うまでもなく生活品質が最悪。人間として生きていない気がしていた。
こんな時期が6年の間に3回あった。最初のリバウンドを入れると4回。


対して、調子のいい時期は、ステロイドを塗るという煩わしさも無いし、薬の独特の匂いが体にも服にもつかないし、毛深くなったりもしないし、薬を常備しておかないとということに気を遣わなくてもいいし皮膚科にも通うこともない。


ステロイドやプロトピックを塗っていてスベスベの肌はすぐに内部から赤みが出てくる微妙な脆さを感じたけど、脱ステ中に自然にスベスベになった肌は奥からの熱気も赤みもなく白くて、汗をかいてゴシゴシタオルでこすっても何の刺激も感じない丈夫な肌だった。
いい時期に関してはステロイド治療よりも脱ステ中の方が生活品質も良かったと思います。


いい時期の方がずっと長かったということもあり、この両極端な生活品質の中でも、悪化を無くして良い状態を維持してやろうという気持ちはずっと消えませんでした。
今後自分の弱点がよりはっきりすれば、劇悪化する前に調整できるようになるのではないか、調整できればステロイドは必要ないと思っていました。
だから、今回の悪化がここまで急激に加速しなければ、脱ステ中にまだまだ試したいこともあったし、諦めてもいませんでした。


まだ、試しておきたかったことはいくつかありましたが、脱ステ中、外部から手を加えられていない素の自分の状態で色々なことを試せたのは大きな成果だと思っています。
なので、やっぱり、今回の脱ステは間違ってなかったなとは思います。


ただ、やっぱり脱ステを開始する時期が5年遅かったかな。
私にとっては、脱ステが間違っていたのではなく、脱ステする時期が遅すぎたのが間違いだったと思ってます。


過去2回失敗した時の脱ステは、ただただ症状が辛くて、それから逃げたくてステロイドとプロトピックに戻った。
逃げただけだから、当然、自分の本来の肌や体質なんてぜんぜん分からないままになっていて、ステロイドとプロトピックの治療に戻ってからは、悪化はすべて薬が隠してくれていた。


ただ、隠すにも限界があって、私の肌の炎症が勝ってしまった時に、薬は効かなくなり、薬を皮膚科医の言う通りに塗っているのに効かない。
アトピーにいいよと言われた療法やクリームやサプリや食品や、手当たりしだいに試した。


皮膚科を何度も変えた。大学病院でダメなら個人病院だ。女医さんなら親身になってくれるんじゃないか?
ネットでも検索した。ネットの難点、効かない民間開発の保湿剤をいくつも注文した(笑)


今回は、前のように症状の辛さからただ逃げただけでない。
きちんと戦利品をいくつももらってきたつもり。
それが、脱ステ中、外部から手を加えられていない素の自分の状態で色々なことを試したことの数々。
これから、ステロイドを使っていくにあたり、絶対役にたつはずだから後日詳しい備忘録を作ろうと思う。


食事については色々と試したけど、食事内容自体は私にはそれほど影響はなく、地味だけどレトルト、インスタント、ファストフードを食べない、添加物に気をつけることや炭水化物ばかりに偏らないこと、砂糖と小麦をセットで暴食しないことが一番だった。
日光は私には特に影響はなかったし、以前から気になっていた鍼や漢方はそれほど効かなかった。


そして、運動の効果は私には絶大だった。汗は最初は悪化しても2週間もすると色素沈着が落ちるくらいに肌が生まれ変わった。


どれも、ステロイドと併用なら効果が分からなないまま、時間とお金を捨てていたことだろうと思う。


今回のステロイド使用で、薬で隠された症状に、ただ、「体が楽になった」「肌が綺麗になって嬉しい」「ステロイドってやっぱりすごいな」と喜んでそれだけにはするつもりはない。
いや、実際「すごい!!」としか思えない状態にはなるんですけどね(笑)


隠されているものにも目を向けて、今度は『薬が効かない』状態を作らないようにしようと思う。


基本的には脱ステ中と同様の気遣いをしながら生活するつもり。
だから、私にとって脱ステは大変意味があるものだった。
これからの生活に大きく影響するほどに。
6年と2ヶ月が無駄だったかと聞かれたなら、100%無駄でなかったと言える。


環境が許せば脱ステを続けたかと言われれば、最初の5年間のような体調が続くのなら、まだまだ試行錯誤して続けていこうと思うくらいには生活品質に満足していました。
ですが、6年目(この1年間)のどこから見てもアトピー顏が、後もう1年間続くようなら脱ステを続けるより人に見られても恥ずかしくない顔の方を選んでいたと思います。