(前回 の続きです)



■佐藤先生の初診

診察は病室で行います。
まず、事前に看護師さんが書いたアトピー歴や薬の使用歴を見ながら一言。
「色々使うとるなぁ。」


仰る通りです…。
直前まで全身プロトピック、効きが悪くなるとステロイドの筋肉注射併用、時々ステロイド軟膏に切り替え。
ステロイドにも相性があるのではという自己判断で、ベリーストロングの中でも色々変更。
我ながら最悪の使い方だよなと脱ステへの不安も高まります。


そして、患部を診察。
耳、頭は2ヶ月前、足は1ヶ月前、手は2週間前から何も塗っていないけれど、他の部分、顔や身体は前日までプロトピックやパンデルを塗っていた事を告げる。


今も印象に残っている診察時の先生の最初の一言。
「紅皮症やな。」


ん?ステロイド皮膚症じゃなくて?こうひしょう?
今まで1度も言われた事がない。


自分の肌の事は自分が一番よく分かっていると思っていた。
私の肌は、もう長いこと赤みのある地黒だと思っていた。
毎日少しずつの変化だから気付かずにいた?いつから赤かった?


首や胸元は色素沈着で色が濃く多少赤みが強かったけど『まぁ、元からこんなもんだろ』と思っていた。
夏は多少の炎症があろうとタンクトップも着てましたね。
『若干アトピーのある色黒な人だと思って下さ~い。』と割り切ってました。
そして酷~い時期は長袖。極端過ぎです(笑)


この紅皮症は文字通り赤い皮膚。
入院時、お腹は確かに真っ赤に腫れて薄く破れそうな皮膚だったけれど、先生には全身赤みがかっていると言われました。


後にはある患者さんにも『あの時は顔から腕から全身ど~したのぉ?大丈夫なのぉ?っていうくらい赤かったよ!』と言われた。
私には全く自覚がありません(笑)
自覚があったのはお腹だけ。


自分でも気付かないうちに少しずつ赤く薄く変わって行く皮膚。それが紅皮症。
薬で抑え続けたせいで気付きもしなかったのが幸せか?
いやいや気付けよ!(笑)


先生からは、赤みは脱保湿をすると取れるから大丈夫と言われる。
私、最近は自分で保湿を控えていたんですが…。
ステロイド軟膏やプロトピックを塗っているのが既に保湿だろうとの事…。
あぁぁ、そういえば!
最高に最悪な保湿です(笑)


また、手を変え品を変え苦し紛れに使ったステロイドは、使用年数による差はあっても必ず抜けるとの事。
直前に使っていたものが離脱症状として顕著に出やすいとのお話。
私の場合はプロトピックをメインにケナコルト筋注、パンデル軟膏ですね…。
う~ん、ちょっとすごそう…。


診察では全身細かく観察。
そして、入院時の状態を写真に撮るか確認され、私は写真に残す事を希望。
その場で先生のデジカメでパシャパシャ。


治療方針は事前にもらった冊子で見ていましたが、先生にも注意点の念を押される。


「今日からプロトピックもステロイドも完全に止める事。」
「足の落屑が多いので蛋白質を多めに摂る事。」
「水分はまず1200mlの制限でやってみよう。」
「動ける時は運動をすると良い。30分程度の散歩から始めてみて。」
「昼寝はせずに夜眠るように。どうしても眠い時は椅子に座って仮眠を取る。」
等々。


持って来ていた漢方やサプリはやっぱり中止。
理由についてもここで説明を受け、お高い漢方とサプリは諦める(笑)
他に食事制限について、お風呂の入り方等も、不安な部分は質問をしました。


今思い起こせば、初診で「掻いてもいいんや。掻いても皮膚が強くなって行くから大丈夫。」とはっきりと言われたのは心強かった。


今までに何百万回『掻くな。掻くから治らない。掻かなきゃ良くなるのに。だからステロイドも減らないんだ。』と言われたか分からない。


『私は掻くから一生アトピー。ステロイドが効かなくなるのは私が掻くから。』と植え付けられてたようなもんだ。
無意識のマインドコントロールって怖い(笑)


入院中に一生分掻いたから、今は薬を使っていた時よりずっとずっと痒みが少ない。
掻いた部分も嘘みたいに自然に治る。
魔法の薬だと思っていたステロイドにプロトピック。
魔法を手放したけど、代わりに新しい肌を手に入れた。
先生の予言は当たりました!(笑)


使用する痒み止めや眠剤もこの時に決定。
一通りの説明を受けたところで入院計画書なるものが目の前に。
入院中の日常生活注意点や治療内容が書かれた書面です。


計画書なので、入院期間の目安なんかも書かれていました。
でもこれはあくまでも目安。
経過は人により違うから。
プロトピックを使っていた人は、平均的に若干長くかかるとは聞きました。
これにサインをして初日の診察終了。



※佐藤先生の治療方針は、退院後に以下の記事でまとめました。


佐藤先生の治療方針(まとめ)


佐藤先生の治療で私が行った事



■毎日の診察

診察は土日祝日を除いて毎朝ありました。
先生は、火曜、木曜が朝9:00から一般外来。
水曜は退院患者の再来等の対応。
私の病室には、外来の日は8:30くらいに、それ以外の日は9:00過ぎに回って来ます。


だから私の部屋では、月、金は先生への質問が殺到してた。
脱ステに関係ある事から無い事まで。


「先生の家どこですか~?」
「連休お孫さんと遊びに行きました?」
等々…。
先生はお酒が好き、お酒は何でも飲む、ハンドボールをしていて試合にも出ている等の情報は、大体この時間でみんなで入手しました(笑)


でも、実際、自宅で脱ステしていたら不安で試行錯誤していたような事を毎日質問出来たのは大きかった。


『これは感染だろうか?』
『ここは石鹸で洗った方がいいんだろうか?水洗いがいいのか?』
『運動は増やした方がいい?減らした方がいい?』
『この抗生剤効いてる?』


入院初期は、ほんの僅かの体調や皮膚症状の変化に自分の頭がついて行かず、自分の体なのに分からない事ばかりだった。


私は最初の3ヶ月間が酷かったので、土日になると不安で不安で(笑)
良くなっていると実感して、先生の来ない土日を気楽にやり過ごし月曜まで待てるようになったのは4ヶ月目から。


悪化時期、自分ではとても直視出来なかった赤くドロドロの皮膚とも言えない皮膚を、毎日しっかりと見続け、何か一言声をかけてくれるのにも本当に救われた。


自分では悪化部分にしか目が行かないのに、先生は良くなったほんの『ひとかけら』を見つけ出すのが上手かった(笑)



■皮膚科入院患者

私がいた時期は99%脱ステ患者さんでした。
入院と同時に脱ステを開始した人、自宅で1~2ヶ月耐えて入院した人、脱ステ完了数年後に悪化して脱保湿をしている人等。


皮膚科の大部屋は東棟、西棟それぞれに2部屋ずつ。
当時は、東棟の男性部屋に4人、女性部屋に4人、西棟も同様。
時期によっては個室にも1~2人ずつ入っていて、小学生以下は小児科に入院していました。


患者さんの年齢は、私が居た時期だと20代が一番多く、次いで30代と10代だった。
中学生、高校生、40代、50代の患者さんも、赤ちゃんもいました。


やっぱり中学生は経過が早かったですね。
ついこの間まで辛そうだったのに、日に日にツルツルになって行く。
やっぱり、代謝も免疫力も何もかも違うんでしょうね(笑)


病棟が違っても入院患者はみんな仲が良くて、お互いの部屋を行き来したりみんなで出掛けたりしていました。
脱ステ時期がバラバラだから回復時期もバラバラ。
最初は誘われても行けなかったけど、それでも毎回誘ってくれるのが嬉しかった。


誰かが退院して、また新しい人が入り、その時期によってメンバーは違うけどその時期によっての楽しさがあった。
まぁ、後で書きますけどね(笑)


あぁ、そういえば!
汁が辛いネタは思う存分に楽しみました!
夜中に耳が枕にくっつくとか、ニオイが我慢出来んとか。
どうしてこんなニオイなんだろうとか(笑)
せっかく固まったのに夜掻いてまた汁が出てきたとか…。


掻いてしまうと自己嫌悪に陥りそうなもんだけど、『みんなそうなんだなぁ』と机上論に諭されるのとは全く別な気持ちで納得していた。


掻いても先に脱ステしていた人達はどんどん良くなる。
そして、そんな患者さん達を長年見て来た佐藤先生は自信を持って言う。
『掻いてもええ。絶対ようなる。』


これからどうなるか分からない不安は常にあったのに、私の頭の中の冷静な一部が、みんなの様子を見ていて『きっと大丈夫』って納得していて不思議な感覚だった。
昔、みんなの脱ステブログも無く家で一人だった時には感じた事のない安心感だった。


一生止まらないんじゃないかと不安になる汁も、誰に聞いても『必ず止まる!』という返事。
『止まるのかぁ』と人事みたいに思ったっけ(笑)


痒くて痒くて両手で力いっぱい掻かずにいられない時、何も言わずに放置してくれて、終わった頃に自然に会話に入ってた。
脱ステ経験者ならではの絶妙な呼吸です(笑)



■1日の生活

(私の場合)
6:00-7:00~起床
7:00~洗濯、掃除、シーツ交換
8:00~朝食
8:30-9:30~佐藤先生診察
12:00~昼食
18:00~夕食
18:30~シャワー
22:00~消灯


起床時間は特に決まっていません。
「朝食の準備が出来ました。歩ける患者さんは、手を洗ってエレベーター前までお越し下さい。」
この館内放送を目覚ましに起きる人もいれば、朝6時からジョギングや散歩に出掛ける人もいた。


脱ステ中なので、時期によって生活のペースはみんな違った。
掃除や洗濯もそれぞれ好きな時間にしていた。
午前中、早い時間に掃除等を終わらせて昼前や午後から散歩に出掛ける人が多かったですね。


私は最初の3ヶ月までは夜は眠剤で早くに眠って、朝はシーツを早く変えたくて早起きしていました。
一番酷い時期はシーツは真っ黄色でベタベタ、真っ黒な湿った落屑がゴロゴロしてたから朝食までに意地でも気分を変えたかった。


起きたら汚れたシーツや布団カバー類を袋に入れて所定の場所に持って行き、床の落屑を部屋のモップで掃除、新しいシーツを持って来て交換。
夜の汚れたパジャマやバスタオルは洗濯。
洗濯機と乾燥機は病棟に1台ずつあった。
皮膚科の場合は洗濯が毎日だったし乾燥機じゃ乾かなかったからみんな屋上に干していた。


屋上の物干し竿は有り難かったけど腕の上げ下げが重労働。
猫背のまま精一杯背伸びして、亀裂の入った首は固定したまま、上目で物干し竿に狙いを定めて「えいっ」と掛ける。
これだけでも自分を褒めていた(笑)


掃除やシーツ交換、洗濯は患者個人でする。
これは寝たきりになりやすい脱ステ中に、毎日少しずつでも動くようにして、生活リズムを正すというものだった。
(もちろん本当に動けない時期は看護師さんが手伝ってくれる。)
おかげで、楽に洗濯物を干せるようになったところで自分の回復を実感出来た。


そして、私も午後からは散歩の時間。
最初の3ヶ月は昼までに汁で湿った体を乾かすようにしてましたね。
と言っても自然乾燥だからパジャマをスカスカしながら起きてるだけ(笑)


午後からはガーゼを巻いて外を歩いてましたが、最初は歩くペースも違うからほぼ単独行動。
治療の為の運動という意識が強かった。


4ヶ月目くらいから、他の患者さん達と近所のどでかい公園を歩いたり、難波当たりまで行って歩き回ったりしてました。
ここまで来ると、気晴らし兼治療くらいに気持ちの余裕も出て来ます。
半分観光のような散歩なのに不思議と回復も加速した。
汁の滲んだ面積がみるみる小さくなって行った。


お風呂の時間は患者それぞれで決まっていました。
私は夕方。
これがまた辛い時間だった。
私の部屋はみんな夕方以降だったから、お互いに気合いを入れ合い出陣(笑)
『痛~い!』って言いながら前の人が帰って来たら次の人。
てな感じでしたね。


先生の診察とは別に、毎日看護師さんの問診もあったんですが、こんな感じで患者は自分のペースで動いてるもんだから、朝昼晩のどこかで検温、脈拍の測定をしてもらっていました(笑)


(続きます)