今日の朝方、図らずも今、心が苦しんでいる状態の人からメールが来た。
内容はまぁ・・・・・・置いておこう。
ここで、大学の時のゼミの恩師(心理学)が仰ったことを少し思い出し、かみ締めながら返信をした。
ホンの少しだけ回想する・・・・・
ゼミのテーマは「アイデンティテイ」だった。
アイデンティティ・・・・自我同一性、簡単に言えば「自分とは何か?」ということ。
その先生が仰ったことで印象深かったのが、
セラピストや精神科医というのは実は確固たる自我を持っていない状態だと患者の精神に取り込まれてしまうそうだ。
話を戻そう。
その人のメールを読んだ時
「今この人が何に苦しんでいるのか」
表面的ではなく本質が感じ取れた。
返信はこんな内容だったと思う。
「俺は専門家じゃないから治してあげることは出来ないが、
自分が困難や壁にぶつかった時の乗り越え方・・・は俺自身で確立している。
それは自分は自分。他人は他人ということ。
他人の事を完全に理解することは出来ない。何故ならそれぞれ抱えているものが違うから。
今アナタが苦しんでいる状態でいる。その一方でのほほんと過ごしている人もいる。不公平だよな?
何故だと思う?わからないのさ。
だからそういう不公平さと戦ってくれる自分ってヤツを受け入れて信じてあげなきゃならない」
俺のこの言葉をどう捉えるかは相手に委ねるしかない。
ふと書いていて俺は思った。
俺が精神を病んでいたとき自分の都合の悪いことはとにかく人・社会のせいにしていた節があった。
言い換えれば自分は何も悪くないと正当化していた・・・・ンだと思う。
多分、2年くらい前のブログを読めばモロに出ている。
自分にとって都合の悪い側面・・・・闇の部分と言うのはきっと消えないものだろう。
ただ、闇を乗り越えるというか、自分にとって目をふせたくなる事と戦えるのは自分にしか出来ないとつくづく思う。
周囲の人は支えたり励ましたりしてくれるが、
自分が立ち上がるには結局自分で自分だけの答えを見出すしかないだろう。
よくわからないと思う場合は
「るろうに剣心 人誅編」で
剣心が人斬り時代に犯した罪を償うための過程を読んでもらえば大体わかる。
どうも「人誅編」は作品の中で評価は低いけれど、この一連のエピソードは中々読み応えがあると思う。
今はその知人がとにかく自分自身の精神の闇に負けないことを祈るしかない。
俺に出来るのはそれくらいだからね・・・・・・・
願わくば自分だけの真実を見つけてほしいが、それにはきっとまだ時間がかかるだろう。