今朝は地震で目が覚めた。ほんのささいな揺れ。

今日揺れるのかよ、と朝から落ち込む。


あれから12年。

今年も私にできることは心を寄せて手を合わせるだけ。

今でも地震で揺れる映像を見ると動悸がし目が回る。手が震え、涙が止まらなくなる。

津波の映像も胸をえぐられるけれど、揺れの映像は私を一瞬であの時へ引き戻す。



聞いたことのない異常な音。来る!と思った瞬間昼寝中の息子を抱えて部屋を出、玄関ドアを開けた。閉じ込められると思ったから。

玄関の梁さえ壊れると思った。慌てて共用廊下の配管にしがみついた。


通路の隙間から眼下に家々が見えた。

左右に揺られる。しがみついていても吹き飛ばされそうだ。電柱がぐにゃりと曲がって見える。聞こえる悲鳴が自分の声なのか周りの声なのかすらわからなかった。

マンションが倒れると思った。数日前ニュースで見た階段のないNZの建物が頭に浮かんだ。この子だけは助かってと必死に抱えた。


揺れが収まり、生きているのだと安堵した。玄関が開いたので鍵をとり靴を履く。今のうちにと階段を降りる。2人子を抱えているお母さんと協力しながら降りる。


幼稚園にいる子が頭に浮かぶ。ちょうどバスに乗る時間だった。どうしているだろうか。下手に動いてすれ違うわけにもいかない。まずは今夜の事をなんとかしよう。


何度も揺れている。とりあえず車に子どもを乗せる。車のない親子も乗せる。

外から見たマンション、所々ヒビもあるようだかまら今すぐは崩れないだろう。

悩んだが揺れの合間を縫って必要と思える荷物を取りに行くこたにした。子どもを見ながら交代で荷物を取りに行く。


何も考えず靴を脱いで部屋に入った。

リビングのドアを開けたまま出て良かった。棚が倒れていて下手をしたら開かない所だった。

物という物が倒れ、足の踏み場もない。なんでこんな所にガラス?と思った。洗いカゴからコップが飛んできたのか?3mも飛んだのか。

時々揺れる気もするが、もうこれ以上倒れる物はないだろう。あとはこの建物が崩れない事を祈るだけ。

思いついた物を取る。

財布入りバッグ、おむつ、お尻拭き、毛布を2つ。ちょっと欲張ったな、重いと感じつつ意地で階段を下りる。


交代している間も幼稚園からは連絡がない。今はどこへも繋がらないだろう。とにかく連絡を待つ。


今日は冷える。もう一度戻り毛布をあと1つ取る。置き型非常用トイレと非常用品を入れたバッグを手にする。大した物は入っていない。アルミシート、懐中電灯、電池、ウエットティッシュ、使い捨て歯ブラシ、ナプキンと紙コップくらいか。ホッカイロ、電池式ランタン、トイレットペーパーと箱ティッシュを追加する。


なんで食糧を同じ所に置いておかなかったのか。

食品を入れていた戸棚の中は他の物と一緒に総崩れ。とても短時間で取れる状態ではない。

動物ビスケットと赤ちゃんせんべいを手に取る。

2Lサイズの水は2本が限界。


駐車場へ戻る。小さいマンションだ、日中いそうな大体の親子はお互いわかる。

双子のお母さんがいない。他にもいないお母さんもいる。誰も見ていない事がわかり、何人かで声をかけにまわる。ただ不在なのならいいが。

幸い怪我をして動けない家はなかった。

玄関が開きづらくなっていたり、家を片付けていたり、子どもと荷物での移動に手間取っていたりだった。とりあえず知っている人たちの避難は大丈夫で安心する。


近所のお母さんから声をかけられる。園から電話がきたとのこと。

子どもたちは全員園庭に避難していて怪我なく無事。バスは走らせないので迎えにきてとこのと。

川が溢れそうなら高台に移動するとのこと。


津波…生まれ育った海町では定期的に避難訓練していた。ここにいたらここに逃げる、という感覚があった。今の土地では海抜がわからない。自宅はともかく、通園路は海から多少距離はあるが平地だ。道によっては危ないかもしれない。

高台へも向かえる経路で行く。割と新しい道路だ。この道があってよかった。

念のためラジオを聞きながら向かう。ラジオの声がうまく耳に入ってこない。津波を呼びかける声がしていた気がする。上の子は大丈夫だろうか。不安と焦りが募る。


踏切が降りたまま鳴りっぱなしだ。誰かが通ったらしく踏切は折られている。絶対電車は止まっている。やむなく踏切を通過する。


息子は園にいた。川底が見えたので、ちょうど高台へ避難する所だった。安全に守ってくれテキパキ指示を出している先生方にも、川を見ていてくれた運転手さん方にも感謝する。

とにかく急ぐ。ここに浸水の危険があっても今すぐ離れれば大丈夫なはず。


あとは夫だ。携帯の充電ができない。

離れた先のコンビニに寄る。

車を止めた時、足裏の激痛に気づく。

靴を脱ぐと靴が血で滲んでいる。

足裏にガラスの破片が刺さり出血していた。

よく見ると細かいガラスが無数についている。

気をつけたつもりが、踏んでいたのか。そういえば裸足だった。とりあえず買い物が先だ。


私が離れる事を嫌がる上の子に言い聞かせる。

「ここは絶対大丈夫。すぐに戻るから下の子を守ってあげてと。」

店内はぐちゃぐちゃ。


店内は危険です。それでもいい方だけどうぞと言われる。天井と電気は大丈夫そう。礼を言い、上を気にしながら買い物をする。

水とおにぎりは売り切れ。パンもサンドイッチ以外はない。麦茶もないか。

残りわずかのサンドイッチを1つ、緑茶と飴、携帯充電器と電池を買う。あとは靴下。

計算も自分。慌ててて自信がないので、確実足りる額を払う。なかなかの出費、しょうがない。


雪が降っている寒い。積もらなければいいが。

車に戻ると上の子が涙を目にためて弟をギュッとしていた。

何度も揺れて怖かったと。車はかなり揺れるんだよね。心細かったよね、ごめん。とにかく2人を抱きしめる。

後にこの時の揺れが上の子のトラウマ①になる。



ここまでが記憶が鮮明な部分。

あと覚えているのは、


ガラスを取って少量のお茶で洗う。ティッシュで拭いて靴下を履く。

とりあえずどこへ避難するか悩みながら一度駐車場へ戻る。


子どもを迎えに行くため別の車に移ってもらった親子も夫が帰ってくることがわかり、こちらも安心。


小学生を迎えに行ったママたちから、橋も所々通行止めと聞く。歩くのは可能だが、車は通れないかもと。確かに道路もあちこちひび割れているようだ。


とりあえず、災害伝言ダイヤルで自宅電話に伝言を残す。

携帯の災害伝言ダイヤルから無事を知らせる。


実家の家族たちも義実家も連絡はない。

普段の様子から義実家は大丈夫だろう。曽祖父母は大丈夫だろうか。怪我をしていないといいが。


父は自宅だろうか。近くの堤防は5mくらいの津波なら大丈夫だと言っていた。うちも8mくらいのなら大丈夫だろうと。でも、幼少期から私に避難を叩き込んだのは父。きっと高台へ逃げている。


弟も母も職場は海の近くだ。弟は避難誘導してるかもしれない。自分も逃げていればいいが。

母は、素早い人だ。無事であって欲しい。


夫から連絡が入る。

とりあえず無事。歩いて帰っているから何時になるかわからないとのこと。

自分がいるだろう駐車場を3箇所ほど伝える。


あっという間に夜が来る。


近所のママから、近隣スーパーの自動販売機にある温かい飲み物をもらえる事を聞く。何でもいい。子どもたちを少し温めてやりたい。

残念ながら品切れだった。しょうがない。

何故かこのスーパーの軒先が明るかった気がする。自家発電だったのかな?暗闇が怖くて少しここにいた気もする。


その時向こうの暗闇から見慣れた人影。一気に全身の緊張が解ける。夫だ。夫は安心と温かい缶の飲み物をくれた。


夫のいるビルは新しいのに、天井が落ちてきたらしい。机の下に潜ったとのこと。普段そんな事しなさそうなのに。潜ってなければ天井直撃だったらしい。本当に良かった。自分を守ってくれてありがとう。


夫以外は連絡が取れない。そのはずだと後から知る。実家の家族がそれどころではなかった事を。


別店舗の広い駐車場へ行き、勝手にだがそこに車中泊させてもらう。こちらの方が高い建物もないし少し安心。他にも結構な台数がいる。

すると、ノックが。閉まっていた店舗の方が車を一台一台訪ね、おにぎりやパンを配ってくれていた。

廃棄するのももったいないので、よければ召し上がってください。ご家族分どうぞと言われた。


下の子は離乳食を終えたばかりのアレルギー持ち。どこでも手に入らなかったおにぎりのなんとありがたい事か。

1人ひとつもらえた。寒いから明日でも食べられるだろう。昼に買ったサンドイッチとおにぎりを1つ分け合って食べる。ありがたい。


ガソリンは3/4ちょっとあった。実家へ行くのは無理だが、何か有れば少しは移動できる量だ。

念のためエンジンは切る。身を寄せて寝る。毛布3枚でもやはり寒い。毛布は熱を逃すんだな、羽毛布団1つ必要だったなとぼんやり思う。

アルミシートを思い出し、子どもたちの身体に直接巻く。その上から毛布。かなり温かいようだ。そんな子どもを湯たんぽがわりにする。


トイレに行きたい上の子を連れ出す。

何日続くのかわからない。簡易トイレは大のためにとっておきたい。

ごめんなさい、と近くの木陰ですまさせる。


車に戻る途中、初めて気づいた。

もう雪は降っていない。空にあるのは見たこともない満天の星空だった。

キャンプ場でもこんな数の星は見た事がない。

上の子も目をキラキラさせている。

手を伸ばせば星に手が届くんじゃないかと思った。

もしかして、星が降ってくるんじゃないかとも思った。

なんで、こんな日に、こんなに空が綺麗なんだろうと思った。

嬉しく、悔しかった。












学生時代の友人は、何年たっても変わらず友人。
何年ぶりかわからないほど久々にあっても、毎日会ってるかのようなノリで話せる。
それぞれに新しい生活があり、守るべきものが増え、昔よりは大人になっている。
でも、会えば学生時代の明るいテンションで話せる。

そんな嬉しい関係はこの先もずっとずっと続いていくものだと、それが当たり前な事のように感じていた。

突然奪われる平穏な日常。
みんなの願った奇跡はおこらなかった。

ただ毎日を生きていて、何もすることはできなくて、この悲しい想いをどうすることもできなくて、
それでも時間は進んでいて。

私は今何をしているんだろう。
何が私にできるんだろう。
何もできない、けれど、
人生いつどんな事が起こるのかは誰にもわからない。

私に今できること。
彼女を想うこと。
彼女を尊敬していた気持ちを忘れないこと。
母として、今できることをしていくこと。
子どもを愛すること。

やっぱり、信じられない、嘘であって欲しいという言葉しか浮かばない。彼女の優しい声と笑顔しか浮かばない。
嘘であって欲しい、と思うのは他の誰でもない彼女の家族だろう。

静かに、彼女のことを想う。
私は貴女からたくさんのことを感じ、学びました。
ありがとう。

妊娠するとなぜか手に取るのは吉本ばななさんの本。

描写の感じが好きなのもあるけれど、なぜか死についてのテーマを手に取るのが自分でも不思議。


健診待ちの時間、読みふける。

ふっ、と我に返ったとき、お腹に命が宿ったのに、なぜ死が見え隠れする話を読みたくなるのかと不安になる。

今回もそう。

結局深く考えずに心が求めるものを読みあさる。




最近たてつづけに『生きる』というテーマのドキュメントリーテレビが放映されている気がする。

たまたま目についているだけなのかな?


私にも覚えがあるけれど、

人は必ず『生と死』について考えたり、不安になったりすることがあると思う。


初めて『死』に恐怖を感じたのが小5。

きっかけは何だったかな? 社会で新聞記事を調べたから?湾岸戦争をきっかけに戦争について考えたから?

祖父母の戦争体験を聞くという宿題で、戦争が身近なものと感じたから?


その時は漠然とした不安、明確に大人が出してくれない答え。そしてさらに募る不安のくりかえし。



ここまで生きていていくつもの死に会ってきた。

知っている人。

身内。

友人。 etc・・・

自分が身を切るほどの痛みではなかったかもしれない。

受けとめることのできたものもあれば、ショッキングすぎて今になりやっと心の整理がついてきたものもある。自分のものとして受け止めた痛みもある。


自分自身が命を粗末にしようとしたこともある。

ふと自分が生きているとその時感じなければ・・・今私はいなかったかもしれない。




人生生きていれば悩むこともあるだろう。『死』をみつめ悩むこともあるだろう。


この先自分が悩んだ時、きっと私は立ち向かえる。

でも、自分の子どもが悩んだ時、その時私はちゃんと伝えてあげることができるんだろうか。

ちゃんと伝わる方法で。



今日のテレビ『いのちの輝きスペシャル』前半は子どもたちと見た。

子どもたちは死産になりかけた赤ちゃんの姿を涙を浮かべて見、赤ちゃんが泣いた瞬間息をついていた。

赤ちゃんはどうやって産まれるのか?

それが最近の子どもたちの疑問だっただけに、いくつかの出産シーン、お腹の中の赤ちゃんの姿をくいいるように見ていた。


一昨年、曾祖母の死を間近で見た上の息子。

しっかりと見送りしっかりと自分なりに受け止めた・・・と私は思う。

両親が被災し、命は無事だったものの、

そうとわかるまでの不安、これからどうなるのかという不安を私と一緒に感じていた。

被災地も一緒に見た。実家の跡地・・・信じられなかったろうし、どこになにがあったのかきっとわからなかっただろう。

ただ、ショックだけが残っていた。

5歳を目前にしていた男の子にとっては、死を垣間見た1年は壮絶だったのかもしれない。

だからこそ、『生と死』というテーマに1年生ながら少し敏感な所があるように思う。


下の息子は、地震についても、私の出産についても漠然とした不安だけを抱えている。

赤ちゃんは、お母さんはどうなっちゃうの?

そんな子にとっては今日のテレビは(さわりだけとはいえ)刺激的すぎたかな?



でも、『いのち』についてはきっと考える日が来る。多分・・・

今日のテレビは残しておきたいな。

いつか悩んだ時、見せることができるように。って何年先の話やら。



ちゃんと『愛している』ことだけは伝えていきたいな。

親子でも言葉や態度に示さないと、たまに伝わらないことがある気がする。




こんなひとりごとは胸にしまってもろくなことがないから。

たまに吐きださないと。。。