妊娠するとなぜか手に取るのは吉本ばななさんの本。
描写の感じが好きなのもあるけれど、なぜか死についてのテーマを手に取るのが自分でも不思議。
健診待ちの時間、読みふける。
ふっ、と我に返ったとき、お腹に命が宿ったのに、なぜ死が見え隠れする話を読みたくなるのかと不安になる。
今回もそう。
結局深く考えずに心が求めるものを読みあさる。
最近たてつづけに『生きる』というテーマのドキュメントリーテレビが放映されている気がする。
たまたま目についているだけなのかな?
私にも覚えがあるけれど、
人は必ず『生と死』について考えたり、不安になったりすることがあると思う。
初めて『死』に恐怖を感じたのが小5。
きっかけは何だったかな? 社会で新聞記事を調べたから?湾岸戦争をきっかけに戦争について考えたから?
祖父母の戦争体験を聞くという宿題で、戦争が身近なものと感じたから?
その時は漠然とした不安、明確に大人が出してくれない答え。そしてさらに募る不安のくりかえし。
ここまで生きていていくつもの死に会ってきた。
知っている人。
身内。
友人。 etc・・・
自分が身を切るほどの痛みではなかったかもしれない。
受けとめることのできたものもあれば、ショッキングすぎて今になりやっと心の整理がついてきたものもある。自分のものとして受け止めた痛みもある。
自分自身が命を粗末にしようとしたこともある。
ふと自分が生きているとその時感じなければ・・・今私はいなかったかもしれない。
人生生きていれば悩むこともあるだろう。『死』をみつめ悩むこともあるだろう。
この先自分が悩んだ時、きっと私は立ち向かえる。
でも、自分の子どもが悩んだ時、その時私はちゃんと伝えてあげることができるんだろうか。
ちゃんと伝わる方法で。
今日のテレビ『いのちの輝きスペシャル』前半は子どもたちと見た。
子どもたちは死産になりかけた赤ちゃんの姿を涙を浮かべて見、赤ちゃんが泣いた瞬間息をついていた。
赤ちゃんはどうやって産まれるのか?
それが最近の子どもたちの疑問だっただけに、いくつかの出産シーン、お腹の中の赤ちゃんの姿をくいいるように見ていた。
一昨年、曾祖母の死を間近で見た上の息子。
しっかりと見送りしっかりと自分なりに受け止めた・・・と私は思う。
両親が被災し、命は無事だったものの、
そうとわかるまでの不安、これからどうなるのかという不安を私と一緒に感じていた。
被災地も一緒に見た。実家の跡地・・・信じられなかったろうし、どこになにがあったのかきっとわからなかっただろう。
ただ、ショックだけが残っていた。
5歳を目前にしていた男の子にとっては、死を垣間見た1年は壮絶だったのかもしれない。
だからこそ、『生と死』というテーマに1年生ながら少し敏感な所があるように思う。
下の息子は、地震についても、私の出産についても漠然とした不安だけを抱えている。
赤ちゃんは、お母さんはどうなっちゃうの?
そんな子にとっては今日のテレビは(さわりだけとはいえ)刺激的すぎたかな?
でも、『いのち』についてはきっと考える日が来る。多分・・・
今日のテレビは残しておきたいな。
いつか悩んだ時、見せることができるように。って何年先の話やら。
ちゃんと『愛している』ことだけは伝えていきたいな。
親子でも言葉や態度に示さないと、たまに伝わらないことがある気がする。
こんなひとりごとは胸にしまってもろくなことがないから。
たまに吐きださないと。。。