ひぃちゃんは来年度1年生です。

支援学級にするか普通学級にするか
悩み中です。

母は黒だと思っていたけど一歳から保育園デビューし、毎年担任に療育必要だったらすぐに言ってと言ってましたが、分かるように説明してひいちゃんペースでしたらできるから白とゆわれつづけ。

結局、6歳のIQテストは境界線でした。
知的障害にはならないけど底辺なわけです。
耳から聞いて理解の部分がアウト。
他は普通でした。


母ねー、パンクしそうです。
電話嫌いなのにあちこちせんといけん。


前からよんのに今さらかよっ!とか思ったり
できない事を2カ月早産したから
しょうがないや、こどもってそんなもんでしょーって保健師さんと終わったり、
経験不足と思えば全て納得できちゃったので
さっくんに比べたら相手もしてあげれてなかったしと、母は自分で先生や保健師さんと毎年
療育について話していたのに、皆スルーできてしまいました。

今回で、母の育て方しつけで
こーなったのではないとホッとしてみたり
凹んだり。


ひぃちゃんの育児に苛立って
相性が親子なのにこんなにも合わないのか
母と引き離した方が笑顔いっぱいで
実際楽しんでるだろうにと

真剣に考えてた。


ひいちゃんのことも残しておこうと思い
カテゴリー増やすことにしました。


切り取りやコピーのやり方わからず
長々ダラダラ書いてます。
すいません。




31週5日 1354グラムの極低出生体重児で
生まれたひぃちゃん。

残り日曜日を我慢すれば月曜には32週で
エコー予想では1500グラムいってるだろうから
帝王切開の予定だったのに、、

母のどっかの臓器が点滴のウテメリンに悲鳴をあげてできるだけ量を少なくした結果、陣痛につながり量増やしても陣痛が止まらなくなってしまい普通分娩で生まれてしまいました。


腰の砕けるような痛みはなく
爪で皮膚をつまむ方がよほど痛いぐらい。
あー、今産道通ってるーーって
冷静に分析してました。


力んだか覚えてないけど
先生こないから力むなと
助産師さんに言われてて
小さいしハサミで切らず助産師さんが
それはそれは拡げてひぃちゃんを取り出して
くれました。

ひぃちゃんの出産で痛かったのは
下を切らずに広げた事と後産でした。


立会い希望が展開が早すぎて
旦那はギリ間に合わず


その後、母は胎盤を出した瞬間から
震えが止まらなくなり、旦那に雑誌、雑誌を買ってきてといいながら白目向いて意識飛ばしたみたいです。


高熱が出てました。


ひいちゃんが早産になったのは
母のせいです。

妊婦さんで盲腸になってしまい、
丁度第二のレントゲンを撮らない方が
いい時期だったみたいなのと
ひいちゃんで盲腸が移動していて
痛さもどうやっても痛いから腸炎といわれ
自宅で一日頑張りました。

結局は盲腸破裂してしまい、我慢の限界で
救急車でミックのお世話になっている病院へ。

でも、二週間ほど母の痛い痛いとゆー訴えは
筋肉注射の痛み止めだけで前駆陣痛等で痛みに弱い母親だと思われていたんだろうな。

入院した時にエコーとれば……
二週間の痛みに耐えたのは本当に無駄だったと思います。

二週間後が病棟の検診の日らしく
エコーの部屋まで行けと。
破裂しているのでお腹の中の膿で
お腹はパンパンで重くて苦しくて
痛くて廊下は手すりにしがみついて歩きました。

その時に「そんなに痛いの?」と。
あの看護師の言葉は忘れません。

エコーすると、ひいちゃんは映らず
何やら水分のようなものがうつり子宮が見えない。
やっと私をほってGWをガッツリ休んだ先生が
おかしいと気づいてくれました。


大部屋だったのに、研修医や産婦人科医が
ゾロゾロゾロゾロと集まり囲まれ、
エコーしながら局所麻酔して子宮に刺さらないように針を刺しました。

そしたら膿があふれ出す。
急いでチューブにつないでバケツに
膿をだすとゆーーー。

膿だからくさくて
すいませんすいませんと囲っている
ドクターが回りの妊婦さんに謝っていた。

きりがないから、針を抜く。

この日を境に母の名札が
産婦人科から外科に変更される。

ここからは急展開で
大部屋から二人部屋に移され、
母は炎症してるから常に9度近い熱があり
二人部屋だけどもぅ関係ない。

ベット横にポータブルのトイレおいてもらい
膿で圧迫して尿意と勘違いでトイレいきたくなる。
熱あるから窓を隙間あけてたら
次の日ばぁさんが寒いだの寝れなかっただの
朝のナースに言ってるから
カーテンあけてすいませんね、ワレのイビキどーにかせーや寝れとる証拠ぢゃろーがときれる。

この頃から精神的にも辛くなる。

そして、個人部屋になる。

ひいちゃんお腹にいるけど
膿をだす手術をする。

全身麻酔は我慢して下半身麻酔ですると言われる。
帝王切開もそうだろうから何とも思わず。


切った瞬間膿が吹き出して
後で皮膚が膿の菌がついてるからひっつかず
開いたまま皮膚が治癒能力で盛り上がってできあがるのを待ってから縫合する。

怖くて傷口見れず。

術中はエコーでひいちゃん見ながら、
温かい生理食塩水お腹に入れて
脂肪吸引のように激しく動かして吸ってました。
食塩水でお腹が重くて苦しくなり
痛くないはずなのに激しい吸引の動きを痛いと
思ってしまってパニックを起こし、酸素増やしてと過呼吸なってるのにいって意識を飛ばす。

母には帝王切開無理だったろうな。

起きたら部屋。
綺麗に膿がとれるようお腹から3つのチューブが飛び出てて常に陰圧がかかった袋をさげる。
自然に残った膿が気づけばでてる。

皮膚にチューブが縫い付けられていて
トイレも可能。
腹帯でかなり締めていないと切った所は開いてるチューブもブラブラしてとても痛かった。

ひいちゃんを産んだとき
傷口は縫合済みでチューブはまだ出ていた。
意識を飛ばして覚醒したときには皮膚に縫い付けていた糸がちぎれている。

腹帯でしめないと動き回って孔がすれて痛くて。

今思うのは胃ろうも同じ?
母は孔から浸出液があって固まり気になって
とっての繰り返しだったけど入れてる物が
動くたびに痛くて引っこ抜きたかった。

何がいいたいやら、、
こんな出産話でした。。

ひいちゃんはホヤーと泣き
先生に五体満足か聞いてたな。

すぐに小児科バトンタッチで
NICUに行っちゃいましたが
この時は、小さい赤ちゃんとか
Nの事とか全く知らず、何にもひいちゃんの
今後の不安さえありませんでした。