お彼岸なので | おっかぁブログ

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子供5人、孫4人、増え続ける家族との楽しい日々…
好奇心旺盛でじっとしていられない、おばあの人生の楽しみ方。
私のブログは備忘録兼日記代わりでーす♪

お彼岸なので、昨日は夫と私の実家へ行ってお墓参りも済ませて来ました。



そして今日は、実家から東京八王子に向かい、我が家のお墓に寄ってから帰宅したのでした。



10:30に実家を出発し、今回は日光有料道路を使わずに、久しぶりに下道で東北自動車道宇都宮ICへ向かってみました🚙

船生から見た日光連山と
高原山




佐貫観音(64mに及ぶ一大岩塊で国の史跡指定)にも寄ってみました。

「佐貫石仏」

説明板と実物を比べてみて、御顔だけは見えました。


窪みにある板扉のところが「奥の院」
ズーム
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鬼怒川沿岸にそびえ立つ高さ64mにも及ぶ一大岩塊。岩面に大日如来磨崖仏があり、弘法大師一夜の作と伝えられています。岩の上部には奥の院大悲窟があり、中には貴重な宝物が納められ、62年に1度開帳。大正15年2月に国の史跡に指定。

また、岩頭北側には古風な亀の子岩があります。自然現象か人工産物か、珍しい姿をしています。
【佐貫石仏について】
ここ鬼怒川左岸にそびえる大岸壁は、石英粗面岩で岸壁の中腹に線刻されている石仏が智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像である。
風化がすすみ石仏の全体像を拝むことは困難になっているが、像高は約18.2メートルの巨像であり顔面の長さは約3メートル幅約1.64メートルである。
造像年代については、石仏の右肩上に奥の院、または大悲窟とよばれる小洞窟があるが、この奥の院がご開帳された明治12年(1879年)にここから銅版阿弥陀曼荼羅(昭和62年12月栃木県文化財に指定)が発見されているが、この曼荼羅の裏面に「下野国氏家群讃岐郷巌堀修造事勧進沙門満阿弥陀仏大檀那右兵衛尉橘公頼 建保五年丁丑二月彼岸第三日 金銅仏奉掘出畢」とあり「巌堀修造」と石仏の製作が何らかのかかわりがあるとするならば、建保5年(1217年)に近い年代に石仏も造像されていたと推考される。
なお、「橘公頼」は宇都宮朝綱の三男であり「氏家郡」という郡名はないが氏家二四郷を氏家郡と私称していたのかも知れない。
また、この奥の院は六十二年毎に一度開帳されてきたとつたえられている。
(塩谷町HPより)



鬼怒川と日光連山
ズーム
佐貫観音前の古い橋が無くなっていて、近くに新しい橋が出来てましたのでその橋の上から撮った日光連山の写真です。
因みにこちらは下流方向。


東北自動車道宇都宮ICから入り圏央道を通って八王子西ICに出て、我が家のお墓参りも済ませてから帰宅しました。


実家を10時半に出発して、自宅に着いたのが16時。
あちこち寄り道していたわりに、明るいうちに帰宅出来て良かったです♪





じゃあ またね〜╰(*´︶`*)╯♡