西洋野菜発祥の地・トマトケチャップ発祥の地 | おっかぁブログ

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2016/7/23 ②

「西洋野菜発祥の地・トマトケチャップ発祥の地」は京急新小安駅から国道15号線の新小安駅入口信号を渡り、左に少し行ったところにありました。

下の写真の横断歩道のある信号が新小安駅入口信号で、手前左にあるのが説明板で、この向かい側にトマトケチャップ発祥の地碑があります。
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【トマトケチャップ発祥の地 碑】
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横には「武蔵国橘樹郡字街道子安村」の文字。
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【西洋野菜発祥の地】
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〈説明板〉
「西洋野菜栽培とトマトケチャンップのふるさと」

トマト,セロリ,レタス,・・・。今ではおなじみの西洋野菜。
子安は最初に西洋野菜を栽培しトマトケチャップ製造をはじめた農村の一つで、当時の人々の努力による実りが、今の食卓を彩っています。

 1859年(安政6年)の横浜開港によって、日本へ一気に西洋のもの、人、文化が流れ込んできました。今では私たちが当たり前のように目にしているキャベツやトマト,セロリ,カリフラワー,ビート,ラディッシュ,アスパラガス等といった西洋野菜が日本へ入ってきたのも、この頃のようです。
 1862年(文久2年)、居留外国人ローレイロが菜園を作ったのを皮切りに、多くの居留外国人が山手に農場を開設。やがて、根岸,磯子,子安など近隣農村へと西洋野菜栽培が急速に拡がっていきます。
 子安で西洋野菜栽培が始まったのは、1866年(慶応2年)ごろ、子安村の堤春吉が外国船に食材などを納めていた倉田政吉からセロリ,カリフラワー,ビート,ラディッシュ,玉ネギなどの種を譲り受け、子安村の人々とともに西洋野菜栽培を始めたそうです。
 子安は東海道に面しており、開港に伴う新しい人,もの,情報が行き交う場所。東京と横浜の中間地点で二大消費地への出荷が容易だったことに加え、西洋野菜栽培に適した土壌と人々の栽培研究努力から、子安村での西洋野菜栽培はどんどん盛んになっていきます。明治時代半ばには子安村の栽培農家は80戸程度まで増加し、1894年(明治27年)には地元の清水興助がトマトケチャップ製造会社清水屋を始めました。1911年(明治44年)ごろには鶴見境から神奈川境までの「子安西洋野菜」作付面積は50ha近くになりました。しかし、大正初期から子安付近の埋め立てが進み、残念ながら西洋野菜栽培で栄えた村も京浜工業地帯として発展することになりました。
 とはいえ、横浜開港から明治にかけての子安村の人々の努力は、西洋野菜栽培が横浜市近郊から全国へと拡がる基礎となり、私たちの食卓で生きているのです。


〈参考資料〉
・横浜市史稿(産業編) 横浜市役所編 1932(昭和7)年・横浜社会辞彙(じい) 日々野重郎編 横浜通信社 1917年刊・横浜開港資料館「開港のひろば」第104号 2009(平成21)年4月22日発行・横浜市環境創造局農業振興課 市民と農との地産地消連繋事業HP

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ここも、東海道五十三次で歩いた場所でした。
この案内板のことは覚えています。