2016/6/15 ⑤
【近代道路発祥の地】
横浜公園から港に向かって真っ直ぐにのびた道路、日本大通りがそれです。
〈説明板〉
「日本大通り」旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災後に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である。当初は12mの中央車道の左右に3mの歩道と9mの植樹帯が設けられていた。
設計者プラントンは、横浜公園や旧居留地地下水道など横浜の都市基盤整備に主導的な役割をはたしたイギリス人技術者である。沿道には、神奈川県庁本庁舎、旧英国総領事館、旧横浜商工奨励館、旧横浜地方裁判所、三井物産横浜ビルといった歴史的建造物が集積し、横浜でも有数の歴史的景観を形成している。
所在地:中区日本大通り
構造・規模:幅員36m
建設年代:明治4年(1871)~明治12年(1879)
設計:R.H.ブラントン
施工:不明
〈説明板〉「日本大通」慶応2年10月20日(1866年11月26日)に運上所、改所、官公庁等が建ち並ぶ日本人街3分の2と英一番館などの居留地4分の1を焼失した豚屋火事が契機となり、「横浜居留地改造及び、競馬場、墓地等約書」(第3回地所規則)が同年の11月23日に締結されました。
約書には、居留地と日本人街に区画整理を行い、その中央に延焼を防ぐ目的で広さ120フィート(36メートル)の街路を海岸から新造の公園(現在の横浜公園)まで通すように規定しましたが、履行できず、明治政府に引き継がれました。
明治4年(1872)英国人ブラントンの設計により、工事が進められ、中央車道60フィート、歩道及び植樹地帯を左右各30フィートからなる近代的な道路として誕生し、明治12年には町名にもなりました。
〈マダカム舗装について〉我国で最初にマカダム舗装という近代道路を採用したのは恐らくR.H.ブラントンが居留地下水道に関した道路整備か若しくはJ.W.ハートによる神戸居留地においてのマカダム舗装の採用と思われている。その詳細は未だ不明のままである。又、横浜でマカダム舗装を試みたR.H.ブラントンは幸い舗装仕様を「横浜の下水・道路整備計画」に書き記してある為、構造概要を知ることが出来る。その内容は、今の横浜にある海岸通、本町通、水町通などに焦点を置き砕石を敷き層にして、道路の新造部分を点検し、砕石を固める為にR.H.ブラントンは適当な重さのローラーを造り、やく1年を経て横浜の道路をローラーで上ったり、下ったりしていた。それが今も尚、所々で見受けられ歴史を感じさせている。 (マダカム舗装とは、スコットランドの技術者J.L.マカダムが考案したことからマカダム舗装と名付けられるようになった。また、マカダム舗装をマカダム式舗装、砕石舗装とも呼ぶ。他の舗装の種類としては、アスファルト舗装や、コンクリート舗装、レンガ舗装や、タイル舗装などが挙げられる。)
(タイムスリップよこはまより)
横浜公園から撮った日本大通り、道の先は横浜港、イチョウ並木の新緑が綺麗!(お天気の良い春に撮った写真です)
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日本大通りのイチョウ並木について調べてみた。
日本大通りができた頃の植栽は関東大震災によりほとんど焼失してしまいましたが、復興整備により昭和2年(1927年)から3年間をかけてイチョウが植えられました。
現在では立派に生長し、自然樹形の風格あるイチョウ並木を見ることができます。
横浜公園信号から開港資料館前信号までの真っ直ぐの道路が日本大通りです。