2016/6/15 ②
「外国人と日本人共有の最初の公園」「日本野球初の国際試合の地」は横浜スタジアムのある横浜公園のことです。
【外国人と日本人共有の最初の公園】
横浜公園の造営は1876年(明治9年)にイギリスの土木技師、R・H・ブラントンが設計図を作成したのが始まりです。ブラントンの設計は、新たな埋立地の造成と下水道を計画し、掘りを拡げ、護岸を補強するもので、日本大通りが建設予定地となりましたが、各国の領事との話し合いもまとまりかけた6月頃に、アメリカ公使から苦情が出ました。
〈碑文〉
横濱公園は明治九年を以て創設せる我國最古の公園なり 初は神奈川縣の所管なりしか同三十二年來横濱市の管理に歸し同四十二年に至り改造に着手し漸く整美を得たり斯くて大正十二年九月大震火災の際本市の大半猛火に蔽はるゝや多數の市民は緑陰池邊に避難して危くも九死に一生を得たる今次復興事業として新公園を起工するに方り裏面鐫刻の有志惣那惟次郎外諸氏は發起して特に樹栽を資け以て美化の一助に供し併せて再生謝恩の意を表せんとするや忽にして曾て避難したる人々の賛同一和を得て計畫の遂行を告けたるは今にして之か美擧たるや論を俟たす殊に幾百星霜の後其の鬱蒼繁茂の状を観んか必すや回想の念の禁せさるものあるへ志仍て茲に由来を禄して之を他日に傳ふと云爾
ブラントン胸像
〈説明板〉
「ブラントンと横浜」
明治元年(1868)政府の招聘により来日したブラントンは開国にともない、日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では日本大通り、横浜公園の設計、吉田橋架設を行なうなど、近代的まちつくりに大きな足跡を残しました。
| 横浜居留地測量 1868~70 電信敷設 1869 新橋・横浜間の鉄道意見書 1869 吉田橋(鉄の橋)架設 1869 居留地地下水道整備 1869~71 居留地マカダム式道路舗装 1869~71 居留地街路照明計画 1869~71 水道計画1870 築港計画1870、73、74 新埋立居留地造成設計・施工1871 中村川拡幅等設計・施工 1871 日本大通り設計・施工1871 修技校開校1871 横浜公園設計・施工1871、72 |
胸像の横には、横浜公園の歴史のパネルが並んでました。
春の横浜公園
【日本野球初の国際試合】
明治29(1896年)年5月23日に旧制第一高等学校(現・東京大学)と横浜在住米国人チーム(YC&AC)の 対戦が横浜公園でおこなわれたのが、日本野球初の国際試合で、29対4と一高が圧勝。
このときの一高選手のスタイルは素足に脚絆、キャッチャー以外の選手は素手だったそうです。
「日本で初めて野球の国際試合が行われたとされる横浜市では、今年2016年6月11日、120年ぶりに記念の国際試合が行われました。横浜市では明治29年に旧制第一高等学校(現在の東京大学の学生)と、アメリカ人を中心とした居留地のクラブチーム(YC&AC)が日本で初めて、野球の国際試合を行ったという記録が残されていて、日本チームが勝利したことをきっかけに、野球が日本で広まったと言われています。11日は試合が行われてから、今年で120年となるのを記念し、横浜市中区のYC&ACのグラウンドで、東京大学野球部のOBと、当時から残っているYC&ACの試合が行われました。試合は6対5で、120年前と同じく、東京大学のチームが勝ちました。…」
と放送されてました。













