6月15日は日光のクリンソウを見てから実家に宿泊し、翌日は東北自動車道宇都宮インターからほど近い、大谷に寄ってから帰宅しました。
栃木県宇都宮市の北西部・大谷(おおや)地域は、 古くから大谷石の産地として知られる。 大谷石は柔らかく加工しやすいのが特長で、 外壁や石蔵もしくは蔵の建材として使われてきました。
あちこちに大谷石が見られます。
外は暑いのに、中に入ると息が白くなるくらい真冬のような寒さです。
大谷資料館は元採石場跡で、一般展示のほか、コンサートや、美術展、セミナーなどの文化事業が開催されていたり、映画やテレビドラマなどの撮影も行われています。
私は何年か前に見学した事があるので、今回はパスして大谷公園へ

大谷公園

大谷町を中心に産出される大谷石は、東西約8km、南北約37km、に分布しています。大谷石は今から約2000万年前の海底火山の噴火により噴出した火山灰が海底に堆積してつくられたもので、地質学上の名称は「凝灰岩(ぎょうかいがん)」と呼ばれています。大谷石の採石は江戸時代に農家の副業として始まり、明治時代に入り産業として発達しました。当初は露掘り(ろてんぼり)と呼ばれる地上に現われている岩を採石する手法を用いていましたが、現在の採石場所は地下数十メートルから百メートル以上もある坑内に移っています。採掘された地下空洞の広さは、全体で東京ドーム12個分に相当するといわれています。ここ大谷公園では、昭和初期まで露天掘りや天上部だけを残す垣根掘り(かきねぼり)と呼ばれる方法により採石が行われていました。
大谷公園の入口のトイレも大谷石、地面も大谷石が敷き詰められています。

大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93メートルの高さで、第二次世界大戦による戦没者の霊を弔い、世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立として彫刻されたものです。
戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援の
もとに、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎が彫刻を手がけ、その指導のもと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。
昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえ立っています。
戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援の
もとに、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎が彫刻を手がけ、その指導のもと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。
昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえ立っています。
私は今の今まで、この平和観音を大谷観音だと勘違いしていました(;^_^A
では、大谷寺へ


その昔、「大谷」と呼ばれていたこの地に、毒蛇が住んでいたことから、里人はここを「地獄谷」と呼んでいました。毒蛇が出す毒水により人々が苦しんでいたところ、東国巡錫中の弘法大師がこの話を聞き、秘法を持って毒蛇を退治されたのです。大師が去った後、人々が谷の中の様子を見ると、高い岩山に“千手観音”が光り輝き、その脇侍に“不動明王”と“毘沙門天”が彫られており、この三尊の光明が山谷を一面金色に変えたという言い伝えから、大谷寺は、平安時代初期(西暦810年)に、弘法大師(空海)により本尊である大谷観音(千手観音)が彫られ開山したと云われています。
堂内岩壁面に厚肉彫に彫刻されている十躰の磨崖仏(千手観音・伝釈迦三尊像・伝薬師三尊像・伝阿弥陀三尊像)が、日本の石像彫刻中、最優秀なる技巧を究めたものとして、昭和29年3月に『特別史跡』に、昭和36年6月には『重要文化財』に指定され、日本で最初の二重指定を受けました。
また坂東三十三観音の第19番札所でもあります。
本堂の中は撮影禁止なのでここまでm(_ _)m
本堂左手奥の池の中央に“弁財天”が祀られていますが、縁起に出てきた毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、弁財天にお仕えしています。参拝後には、白蛇の頭にも軽くふれてみて下さい。ご利益があると云われているそうです。と説明板に書いてあったので…
お参りをして、白蛇の頭もナデナデして、この奥にある御止山(おとめやま)に登ってみることにしました。
ここからコースタイム片道15分で登頂できるそうな(^ ^)
御止山

江戸時代、日光輪王寺の宮様の御用山で、秋になると、松茸狩りをされたため、一般の人々が立ち入ることを禁止され、「おとめやま」と呼ばれてきたのだそうです。また、大正天皇は度々参詣され、山頂にはお手植えの松がありましたが、今は記念碑が建てられています。
ここが頂上のようです。
下る途中、蛇に遭遇!白蛇じゃなくアオダイショウだったけど。
本堂左手にある宝物館には、1965年にお堂の防災工事の際行われた発掘調査で出土した、遺物(縄文時代から室町時代)が展示されています。磨崖仏の下約3mの地層から、縄文時代の20歳前後の男性の屈葬人骨がほぼ完全な形で出土しています。発見当初は、縄文時代早期の人骨と考えられていたそうですが、1998年に行われた鑑定(年代測定は、放射性炭素法とフッ素法の二種類の測定方法によります)の結果、縄文時代最古の「草創期」にあたる約1万1千年前のものと判明したそうです。
大谷景観公園
この後はまっすぐ帰宅しました

ところが…
この日は帰ってからとんでも無いことが待ち受けていたのでした…(;´Д`A




























