前回は浜松駅で終わったので、今回はそこから歩き始めます。
新横浜駅の新幹線ホームで、ムサママさんとちーちゃんと待ち合わせ、新幹線で浜松駅までビューンと。
ビューンと?
いや、新幹線でも、結構な距離に思えましたが、その距離を私たちは歩いたのですよ!
車窓からの懐かしい景色に、よくぞここまで…と、感動で涙が…
いやいや、珍道中を思い出して笑ってしまいました(笑)
浜松駅に到着

改札口では、ムサママさんのブロ友である浜松在住のmanaさんが迎えてくれました。
有り難いことにお忙しい中、午前中だけでもと浜松駅から同行してくださったのです

ちょうど浜名湖花博2014の開催期間中だったので、駅前の出世大名家康くんも、花壇も花で飾られていました。
今夜のお宿が花博でどこも満室だったのですが、ちーちゃんがタイムスケジュールとルートを照らし合わせ、リストアップしてきたホテルの中から、浜名湖から一駅離れればとの機転で、予約をとってくれました

いつも頼もしいちーちゃんです。
さあ、宿も決まったし安心して出発です

二代将軍 徳川秀忠公誕生の井戸
徳川秀忠が産湯をつかったと伝えられる井戸の跡。
東照宮(引間古城址)
浜松城の前身、引間城跡に建てられた権現様(家康)を祭る東照宮。
浜松城
城からの眺め
HPより永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。
徳川家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。三方ヶ原台地の斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、ほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法をとっています。「梯郭式」とは、各曲輪が隣接しながら、階段状になっている様式のことで、本丸の背後が自然の防衛線になるような城に多く見られます。
徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事で、特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘であったと伝えられています。家康にとって、浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築くための試練の時代だったと言えるでしょう。
徳川家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。明治維新後、城郭は壊され荒廃していましたが、昭和33年、野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建、翌年には浜松市の史跡に指定されました。
つづく…
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