
小笠原諸島は、まだ行った事がありませんが、一度は行ってみたいと思います。
岩手県平泉は、6年くらい前に訪ねました。
長男のお嫁さんの実家に挨拶に行くのが目的でしたが、そこから車で20分ぐらいの所に中尊寺があり、そこで私の恩師が貫主をしてましたので、立ち寄る事も楽しみにしていました

高校の3年間、クラス変えの無い学校だったので、担任としてまた心の父の様な存在でした

日光の観音寺の住職と、高校教師を掛け持ちしておりました。
高校教師を退職され、岩手県平泉の中尊寺の貫主になられたのは、「元々父親が岩手県から日光に小坊主に出され、生前、故郷に帰りたいと良く言っていたので、この話しが来た時は、父親の魂がそうしたいと引き寄せたんだろうな。」って言ってました。
1993年から2006年まで中尊寺の貫主として務めました。
1999年に日光が世界文化遺産に登録の際には、地元日光の為に貢献された事も知っています

平泉が2008年に、世界遺産登録にも尽力されていたのに、登録延期になった時は、大変ガッカリしていたそうです

貫主を13年間務め、日光に戻り観音寺の名誉住職になられ、やっと家族と過ごせる様になって良かったねって思っていたら、3年後(2009/4/11) 急に倒れ帰らぬ人になってしまいました。
中尊寺にいる間は、「単身赴任だから何かと大変だ
孫に中々会えないのもさみしいねぇ」と言っていたので、帰って来て安心してしまったのでしょうか。倒れる数日前に、東照宮に勤める同級生が会っていて、とても元気だったのに余りにあっけ無い、でも、殆んど苦しまなく逝けてしまったのは、徳を積んだ先生だからなのかな?と告別式の時に言ってました。
告別式は、それはたくさんのお坊様、たくさんの人で溢れていました。
先生の人柄なんだろうなと思います。
今回の平泉が世界文化遺産に登録された事、きっと先生も天国でいつもの笑顔で喜ぶ姿が目に見えるようです

中尊寺に訪ねて行った時、前持ってアポをとっておかないと、会わせてもらえないよって友人が言っていたので、手紙を出し、私の携帯電話番号を書いて送ったら、先生から直ぐに電話が来て、「あ、みっちゃん?先生だよ!この日大丈夫だからおいで!寺務所に言っとくからね
」っていつもの感じの声が
で、雪の中尊寺に向かった訳であります。
寺務所に声をかけたら奥へ通され、数分して先生がニコニコやって来ました。
私、夫、タク、長男、長男の嫁で会いました

私は、先生にずっと渡したかった、登り釜で焼いた信楽焼の湯のみを渡す事が出来ほっとしました。
忙しい中、時間を割いてくれ、約1時間程お喋りできました

その時、先生から頂いたのがこの本
読んでると、先生がそこに居ると思えてしまいます。
先生の生の声が、この本の中には詰まっているようです。
先生の見慣れた文字、学生時代は通知表に(笑)
毎年交わしていた年賀状にも。
もう、本当の仏様になってしまいました。
慈愛に満ちた先生に出会えた事は、私の人生のかけがえのない宝ものです

先生~
念願の平泉が世界遺産に登録されたよ~

おめでとう

天国まで届いたかな?
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