もう寿命というものを考える歳になりました

そのせいか毎日毎日を、ただがむしゃらに悔いの無いよう生きています

生かされている事に感謝して、無駄な生き方をしてたら、惜しくも早く逝ってしまった方々に申し訳ないという思いが、私の原動力になっていると思います

義母と義父は、とっても仲睦まじく私たち夫婦の手本になっています

私たちの結婚が決まった途端、義母にガンが発覚、直ぐに手術したものの、余命半年と告げられ、義父の落ち込み様は、見ていて辛かったです

結婚式にも出られないかもと云うので、急きょ式を早め、2ヶ月後に式を挙げました、私が20歳、夫22歳の若い夫婦でした

病院から一時退院で式に出席した義母は、満面の笑みで写真に残ってます

私は、同居を選び、義父、義母、高校生の義弟、と一緒の生活が始まりました。
夫、親戚の人や義父に、孫の顔を見せてあげたいと懇願されもしました

同時に今度は、私の母が脳出血で倒れて、全身麻痺だった為、付添い看護をする事に

最初は意識不明で今夜が山場と、医師に告げられ、朝になりその山場もどうにか過ぎて、生還しましたが、全く動かない

何日か経つうちに、目が動き、指先が動きという様にゆっくりだけど、回復して行きました

姉や伯母さんと交代で看病して、東京に戻って来た時に妊娠が発覚

まだ子宮が未成熟なので、流産の恐れがあると云われ、母の方はどうにかトイレぐらいには行ける様になっていたので、姉にお願いしました。
負けん気が、功をせいしてかリハビリのお陰で、半身に障害が残ったものの一年後には退院できて、医師も驚く程の回復だった様です

母が倒れた時は、やはり51歳でした。
「さんずの川の向こうで、大好きな父ちゃんと母ちゃんが呼んでいて、行きたかったけど、ふと我に戻って未だ行けないと思ったから還れたんだね!あの時生まれ変わった様なもんだから、30歳だ
」と日光で父と犬猫とガーデニングをしながら人生を楽しんでます
義母の方は、入退院を繰り返しながらも、3年生きられました

その間、短いけれど一緒にいられた事は、私にとってもかけがえの無いものでした。
息子2人だったので娘ができたみたいだと、だいぶ可愛がってもらいました

明るくて、優しくて、温たかくて、大好きな義母でした

義父は、義母が入院すると毎日欠かさず、仕事帰りに渋谷から池袋まで車で、病院に通いました

亡くなった時の義父の落ち込み様も痛々しい位で、家族にとっても太陽を無くすぐらいのショックでした

それでも孫は、2人見せる事ができ、それが、生きがいとなって三年頑張れたのだと思います
一生懸命に生きる姿を皆んなに見せて、私にバトンを渡された気がしました

義父は、その時未だ54歳だったけれど「おかあさんの様な人は居ない」と再婚する事も無く、今では大家族のなかで、孫や曾孫に囲まれて義母の分も生きてくれています

今度は私が、私なりの生きざまを次の世代に見せながら、笑顔で生きて行こうと思います

更年期なんか感じる暇も無い
だって明日があるかは、誰にも判らないものね
今を生きなきゃでしょ
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