午前4時。
洗濯をしながら洗剤のロゴをみていたら、ふと大学時代の友人と出かけたことを思い出した。卒業間近に2人で出掛けたけど、どこへ、何しにいったのかも思い出せない。その友人は博報堂から内定が出ていた。
今頃どこで何をしてるのか、全然わからないけど、今の私とは全く違う生活をしているんだろうなと思った。

そして、私の人生これでいいんだろうかとふと頭をよぎった。

私は、今の生活に十分満足している。
小さな不満はたくさんあるけれど、心穏やかな時間が持てて、その時に幸せを感じることができれば、それだけで十分。

ただ、大学時代の友人たちが、大きな世界で活躍してるのかと思うと、違うアプローチのしかたもあったのかなと感じてしまう自分がいる。

もちろん、自分の選択が間違っていたとは思わないし、常にその時の最善の選択をしていた、それしかなかったから、その結果として今の自分がある。

いろいろ自分なりに経験して、考えてきたからこそこう思うのであって、若い頃には考えが及ばなかったこともある。

若い頃にこんな考え方ができていたら。

就活をしていたころは、私はまだまだこどもだった。
現実を受け止め切れていなかった。
考えがまとまっている人たちの中で、上部だけ取り繕って、自分自身と向き合う作業をしていなかった。
地に足がついていかなった。

大人からみたら、そんなの一発でわかるのだろうな。
今ならわかる。
何をしたいか分からない状態で就活してもうまくいくはずがない。

私は自分の反省から、子どもたちには小さい頃からいろんなことを考えながら行動できる人になってほしいと願っている。
私は、その場のことしか考えていなかった。
将来のこととか、仕事のこととか、何がやりたいのかとか、深く考えたことがあまりなかった。
それについて、相談したこともほとんどなかった。

だから、将来のことについてある程度教えてあげるのも、1番近くにいる大人としての親の役目かと思う。

子どもたちにやりたいことが明確にあるならそれでいい。
それが見つかるまで、いろいろなことを経験させてあげること。社会のしくみやマナーについて会話の中で話すとか。
何気ないことや当たり前のこと、頭ではわかっているとこでも、実際やってみないとわからないこともたくさんある。

例えば、こんなことを実家にいた高校までになんとなく頭に入っていたら、就職するまでの大学4年間がもっと違うものになっていたんじゃないかと思うから。

大学時代は、いろんな人に会ったり様々な経験をしたけれど、土台ができていなかったからほとんど身にならなかったのが今考えるともったいないのだ。

今の自分が自分の中の最善だと思っているけど、やっぱりどこかでたらればを考えてしまうのは、まだ諦めきれない部分があるのだろう。

だから、せめて子どもたちには、できる限りのことをやってあげたいと思うのである。