平手さんに関する記事があがっているたびに、つい読んでしまうが、記者の個人的見解が文章に大きく影響している気がしてしょうがない。
平手に好意的な人は平手さんよりに書くが、そんなに内情を知らない人は、どうしてもネガティブな印象に見えてしまう。

私は、平手さんに惹かれてる方だからいい方に解釈しがちだけど、それが正解かはわからない。
自分勝手に振る舞うような人ではないと、グループのことを1番に考えて行動する人だと思っていたが、曲の表現の優先度の方があがってしまったのかなーと勝手に考えてみる。



去年の紅白の不協和音。
圧倒された。
周りのみんなももちろんすごい。
その中でもやはり、センターのずばぬけた存在感。
でも、どう表現したらよいかわからなかった。

ある記事で読んだ。今回の、僕は嫌だ は悲しい叫びだと。
そうだ、私も同じだ。悲しかった。見ていて苦しかった。
最後の笑みは、もう全てを投げ捨てたような、吹っ切れたかのような笑みだった。

2017年の不協和音は、強かった。僕は嫌だ の叫びには、私は負けないっていう力強さ、戦う意志があった。
最後もちゃんと前を見据えて、主人公の僕は、ちゃんと前を向いていた気がした。

録画しなかったのを本当に後悔した。
何回でも見ていられる、まっすぐ心を打たれる、中身が詰まっている、そんなパフォーマンスだった。
覚悟が決まっている主人公は心が安定していて、安心して見ていられた。


今回のは、様々な経験を重ねた主人公が行き着いた心境なのだろうか。

そんなに苦しまなくていいよ。
一般人の私はそう思ってしまうけど、それは表現者としての宿命なのだろうか。
見るのに気合いがいる。だから、一回見ただけでお腹いっぱいで、何回も繰り返しっていう感じではないのだ。

東京ドームの円盤。やっと手に入れたがまだ不協和音までたどり着いていない。
見るのにこれも気合いがいるようで、なかなか片手間に見ることができない。

人の心を動かすのは、やはり人の心だ。
同じダンスでも、同じ歌でも、何も考えないでやるのと、気持ちを込めてやるのでは全然違う。
その気持ちの込め方も人それぞれで、平手友梨奈はその部分でずば抜けているのだ。
きっとものすごく考えて、悩んで、苦しんで、練習して。ものすごい努力家なのかもしれない。でも、それができるのも一つの才能。
おまけにスタイルもいいし、声もいい。顔もかわいくもあり、綺麗でもあり、かっこよくもある。
ビジュアルはアイドルそのものなんだけどね。

これから欅坂46はどうなるのか。