さくじつ7月8日,17時に父方のお兄さんたちから祖父が亡くなったと連絡が入りました。


父親は6月27日から7月9日までコスタリカ。
母親は7月6日から9日まで韓国にいます。
姉と兄と私で,猫2匹のお世話とお花の水やりでそれぞれが担当の日に帰省してました。

私は8日が兄,姉と甥っ子が来るのを知り,兄には私の進路を伝えていなかった為に,3人に会いたい為に
「無理してでも帰省しよう」
と想い,帰省していました。

17時半,4人で夕飯の買い物。
「やっぱり帰ってきてよかったなぁ」
と幸せを感じていました。


20時,叔父さんからの留守番電話の伝言を,なぜか私が注意深く聞いていました。その時は叔父さんとは気付いてませんでした。
だけど,不可解に思い,伝言を再生すると,私たちが買い物に行っている時間に2人の叔父から父への,私たちへの連絡でした。


1920.12.01-2011.07.08 享年90歳6ヶ月

函館のおじいちゃん。
私は数えるくらいにしか会っていない。
船の船長さんだった。その船が展示(函館港に浮いてあった)されてた時にモールス信号の事も教えてくれた。
チカ釣りもした。
イカのさばき方も小学低学年の私に教えてくれた。
おじいちゃんの運転で五稜郭に連れていってくれた。
夏休みは函館へ行くきっかけをつくってくれた。
中学あがるとみんな大きくなって,函館へは電話だけになってしまった。
「すぐおいでね」の声に中学の私はいつも「うん…(今年も行けないだろうな,ごめんね)。」
お世辞を言うのが心苦しい想いでした。

高校卒業する前くらいから,ボケが始まり,一回あぶなかった時があった。

私とおじいちゃんとの思い出それだけ。最近はもっぱら函館行きたいとは想っていました。おじいちゃん,お父さんの事さえしっかり覚えてないけど。

お父さん,連絡手段がないため今日帰宅後に知る。
母は携帯連絡が取れたので知らせています。

でも…兄弟揃っていてよかった。明日(昨日の時点),両親が帰国でよかった。
おじいちゃんの最期。きっと,みんなにお知らせしたかったんだなって。
ありがとう。

葬儀の日はちゃんと会いに行くよ。
安らかに眠っているかな?
私にとって祖父母4人健在だったから,自然死は初めてだけど,そう想っています。また人の死は初めてではない為に,ゆったりと身構えられています。

出会ってくれてありがとう。
お父さんをこの世に生み出してくれてありがとう。
そして私がいる。ありがとう。

90歳も長生きして,子供達,孫たちに中々会えなくて寂しい想いさせてごめんなさい。

ゆっくり休んで下さい。
ありがとう。
会った時に,ありがとうのさようならを言いに行くね。

私も,人生満喫したら最期までの数年は函館に住み函館で最期迎えたいって願望あるんだ。札幌生まれだけどね,父親,祖父の生きていた土地は,特別なんだ。函館もありがとうね。


故人を想う。
家族を想う。
そう想える今が仕合わせ。