こんな声が聞こえる。もちろん私の頭の中で。
それほど、私は自分が46歳♀として、あまりにも精神的に幼くあまりにもものを知らず常識を知らず、あまりにもできないことが多すぎる、本当に今までどうやって生きて来たのかしらと陰口を叩かれてもしようのない存在だと思って生きてます。
別にもずくさん素晴らしい、ぱちぱちと言われたいわけじゃないのです。だってどう考えても素晴らしくないし笑
ただ、周囲に引かれたくない、周囲を不快にさせたくない。脅威になりたくない。不穏なざわざわの真ん中には立ちたくない。
ただただ、それだけなんです。
『わからない』ということは人に脅威を与えるのではないか。
私はどこにもカテゴライズされない、分類不能な、パズルの余ったピースみたいな存在だと思っている。もちろん必要とされないし何の役にも立たない。
そして、パズルにハマらないならどうしてここにあるの?どこから来たの?
その存在感はもちろん快ではない圧倒的な不快。
どうやって生きて来たのか?
覚えてません。すみません。ほんとなんです。
30年間、なにやって来たの?
すみません、ほとんど食ってました。食って食って食ってたらほとんどのことを忘れてしまいました。
もちろん私のことを不快とか不愉快とか邪魔だと思う人はいないだろう。これだけビクビク生きていれば。
でも脅威に感じる人はいるかも知れない。
わからないことは脅威だから。
そして心地よくない。不快。
人はわかりやすいものが好きだ。私もだ。
だから私は自分が嫌いだし怖いし不快。
役に立たないならせめて人の脅威になりたくない。不快にさせたくない。
でも一方で私は脅威になるほど人に意識されてないことを知ってる。つまりどうでも良い存在。他人が私にとってどうでも良いように。
なら苦しまなくて済むはず。はず。な、はず。
なにもそこまで・・・
いくらなんでも自虐に過ぎるだろう、と自分でも思うけど、逃れたいと思って逃れられるモンじゃない。
私だって自分を嫌いたくない。
毎日楽しく心穏やかに過ごしたい。
でも『私とじゃ』穏やかに過ごせない。
もう半世紀近く生きて来たのだ。
死ぬまで自虐が続くとしたら今のうちに死んどいた方がいいかもしれない。
今からでも間に合うんだろうか。
今日の夕飯でーす。