今年で過食が始まってからちょうど30年。
思えばずっと食っていた。
病めるときも健やかなるときも
盆暮正月春夏秋冬寝ても覚めても明くることなく
晴れの日雨の日曇りの日。雪の日風の日みぞれの日。
16歳で拒食になって、そのあと過食になって後30年。
それまで生きてきた年月の倍近く、過食して過ごしてるんだから、もはや過食してる方が通常運転。
30年ってすごいよね。
桃栗三年柿八年。梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年・・・っと。
カウンセラーには『よく飽きないね』と言われてます笑笑
私に言わせれば、飽きるって何?意味がわからない。
ご飯を毎日食べる。毎日息をして、手足を動かす。それらに飽きることってあります?
しかもそれらは『毎日息して、超楽しい!』ってなることはないけど、
過食は毎回、『超楽しい!』んです。
そうなんです。
30年過食し続けて、途中一体自分は何をやってるのか?こんなの楽しくない、美味しくない。苦しいだけ。
という時期もたくさんあった。むしろ、30年の中でほとんどそうだった。でもやめなかった。やめられなかったのではなくきっと自分の意思でやめなかった。
そして一周回って、
やっぱ超楽しい❤️
ということに気付いてしまった。
楽しいんだからやめられないのは当たり前。
だってぶっちゃけ、『いくら食べても太らない身体』と、『いくら遣ってもなくならない財布』があれば、
ヤるっしょ?ヤり続けるっしょ?
実際はそんなことあり得ないから、苦しみが生まれるわけで。
じゃ、やめられるのはいつか、というとやっぱり
飽きたとき。
でもね、私物心ついた頃から、『飽きる』ということがあまりないんですよ。
与えられたおもちゃとか壊れるまで使い続けてました。
だから私は自分の身体で飽きるまで遊んでるんですかね。精神年齢が幼児のままなのかもしれない。
これでも若い頃は、
人生もっと素晴らしいことがある。
人と出会って自分を磨いて高めて何かに挑戦して可能性を広げて。
そんな時に過食なんてして、私はなんて人生を無駄にしているんだろう!と思っていた。
でも今は、人生にも自分自身にも絶望していて、
あ、でも絶望というのは文字どおり望みを絶たれた状態であり、最初から望みなんぞなかったら絶望とは言わないのだな。
私は生きてて楽しくなくてもいい。苦しくなければいい。まして素晴らしい必要なんか全然ない。
だから一生懸命生きる必要なんて全然ないのだ。
楽ーに、ゆる〜く生きたいけどそのスキルも著しく不足している。生きづらい。なんかよくわからんけど毎日苦しい。
だから食べる。
食べて忘れる。
なんか辛い、なんか苦しいを
美味しい!楽しい!に変える。
目下の悩みは明日会社に着てく服がないこと。
服を買い替えるお金がないこと。
それさえ解決すれば今のところハッピーハッピー。
多少デブでもかまいやしない。