私の過食史② 〜拒食期〜 | 海のもずく 生き残し

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アラフィフの過食症(非嘔吐)。
過食のこと、食べ物のこと、日々のつれづれ。

取り敢えず今日の夕飯。

はんぺんのフライ。謎のつみれ?ご飯としじみ汁。
地味に好きなメニュー。


ところで過食史。

私の摂食障害歴はまず拒食から始まる。
っても本気の拒食は期間にして3ヶ月ぐらいが2回。

始まりは高1の時。

その頃の体重は身長160弱で53-54kgだったと思う。
デブと言うほどでもないが痩せてもいない。太ももなんか逞しかった。

それが高校入学と同時に56kgぐらいまで増えたのだった。単にお菓子やらなんやら自由に買えて、食える環境になったからだと思う。

さすがに危機を感じて、母親の協力のもと、本気のダイエットを開始したのだった。

それまでお菓子をやめたり夕食を少なくしてみたり、中途半端に試みては少し減って、戻るを繰り返していたから、今度は本気だった。

ちょうど高校に入学し、環境が変わり、打ち込もうと思っていた吹奏楽も何やらダラダラとした雰囲気で馴染めず、仲の良い友達はいたけど微妙に中学と顔ぶれが変わり、ここで本来の人見知りが復活。
身の置きどころがないような気持ちで毎日過ごしていた私は、痩せることに心血を注ぐことにした。

母親も協力してくれたので、お弁当の中身は油物をやめ、ご飯は少なめ。野菜多め。

初めてダイエットのは本を買い、バランスよく。たんぱく質は欠かさず。

なーんてやってたのは最初のうちだけで、そんなぬるいことやってたんじゃ体重は減らない。

私はすぐにお弁当のご飯は友達に食べてもらい、おかずは野菜を数品食べてあとは残し、母には内緒で捨てるようになった。

ご飯なんか茶碗に3口ぶんぐらい。
ほとんど食べてないのを母に悟られないようこっそり捨てたり食べたフリをした。

夕飯は別メニューを自分で作った。

昨日より今日、今日より明日のカロリーを減らす。

そんな生活が数週間続くとひどい立ちくらみとダルさが襲って来た。

50キロを切るくらいで早々に生理が止まり、時々立ちくらみの末に倒れた。

46キロぐらいの時は、真冬でもないのにやたらと寒くて唇が紫色になった。

この年は、寒さとダルさとの戦いの年であった。
その一方で、生まれてはじめての自己肯定感と高揚感を味わっていた。

『私は正しいことをしていて、良い方に進んでいる』


1993年。天皇陛下と皇后雅子様が結婚され、冷夏でコメ不足が騒がれた年であった。