前から気になってた本、やっと読めました。こちらです。
9世紀に実在したと言われる(ヴァチカンの公式記録には載ってない)女性の教皇の物語です。
女性がローマ法王になるなんて、これだけボーダレスになった現代においてもなかなか考えにくいですが(カトリック教会では女性の司祭は禁じられてるそうです)それが1000年以上前の話になるとなおのことですよね。
ネタバレになっちゃうので詳細は省きますが、主人公のヨハンナは小さいころから大変賢く、知的好奇心に富んだ女の子。
二人のお兄さんたちが勉強してるのを横で聞いてるうちに覚えてしまって、なんなら下の兄さんより優秀だった、なんて紫式部みたいなエピソードが出てきます。
ところがそれを許さないのが厳格なお父さん。
この時代、女性に学問は必要ない、と考えられていたのでヨハンナも当然学ぶことを禁じられます。でもよき理解者である上のお兄さんがこっそり勉強を教えてくれるんですね。
その後様々な出会いと別れ、妨害と挑戦、時に命の危機にも遭い、またある時は「女」として愛する人と共に生きたいという思いに揺れながら、彼女はひたすら学ぶこととその才能を活かす道を模索し続けます。その熱意はもはや執念と言ってしまえるかもしれません。
むしろそんな言葉じゃ足りないかもしれないですね。
彼女にとって学ぶこととそれを活かすことは、彼女自身の生きる意味だったのだと思います。
そしてとうとうローマ法王にまで上り詰めたヨハンナの、その後のお話は是非本書をご一読くださいませ。
現代に生きる私たちにも、おそらく何かを投げかけてくれます。
さて察しの良い皆さんならお気づきと思いますが、女教皇ったらこれですね。
「女帝」が女性の女性たる部分、包容力だったり母性だったり、愛、美、豊穣、といった事柄を象徴してるのに対して「女教皇」からはむしろ潔癖な印象さえ受けますね。
しかし背景に書かれているのは多産、豊穣のシンボルである柘榴。
またこのカードのモデルとされるのはエジプトの女神イシス。彼女には地母神としての一面もありますので、そこかしこに「女性」のシンボルが見え隠れします。
「女教皇」はその左右の柱のように二元性も象徴してます。
まるでそれを表しているかのように「女教皇ヨハンナ」のクライマックスにこんな箇所があります。
信仰と疑念。意志と願望。心と理性。すべてはひとつであり、その”ひとつ”は神だ。
長い旅路の果てにようやくそれがわかった。
人間は常に矛盾を抱えた存在で、その落とし所を生涯かけて探していくのかもしれません。