ドンドンドン!
薄っぺらな木製のドアを誰かが力一杯叩いている。いくら四畳半の安アパートでも呼び鈴くらいは付いているのに、隣人たちの迷惑も顧みずに大きな音を立てているのは、彼ら二人の職業のせいだ。
「ぉう、こらぁ! 中にいんのは分かってんだぞ! さっさと出てきて借りた金きっちり返さんかぃ、このボンクラがぁ!」
つまり、そういうことである。
僕も早まったことをしたものだ。いくらお金に困っていたからといって、あんなところでお金を借りてしまったのだから。単身で家を飛び出して上京してきた田舎者の僕は、信じられないくらいにころっと騙されてしまった。気付いた時には、借金はとてもじゃないけど今の僕には返せそうもない金額にまでふくれあがっていた。
僕に出来ることはただ一つ。布団をかぶって彼らをやり過ごすことだけだ。
「いい加減に出てこねぇと、この扉ぶち抜くぞ!」
二人組の借金取りの、脅す役割をしている方がドアを叩く合間にそんなことを叫んでいる。経験上、いかに彼らといえどもそこまではしないことは僕には分かっていたが、それでも目は十全の安心を求めて一定のリズムで音を奏でるドアを確認する。
それが結果的に僕を救うことになった。いや、むしろ気が付かなかった方が幸せだったのかもしれないけど。
(僕の馬鹿……!)
田舎暮らしが長かったことなど言い訳にもならない。こんな初歩的な――鍵を掛けるという行為を忘れるなんて。
借金取りたちは今はドアを叩いているだけだが、いつドアノブを回す音が聞こえてきてもおかしくない。そうなったら僕は、
(終わりだ)
ドラマや漫画で見たような惨劇が僕の頭に浮かぶ。具体的には思いつかないからこそ、一層恐怖心を駆り立てられる。
逃げなきゃ。幸いにもここは二階だ。窓から飛び降りても大怪我はしないだろう。そうと決まれば――。
僕は足音をたてないようにして玄関のスニーカーを手に取り、足をつっこむ。そしてガタが来ている窓を慎重に開けて、
「っ!」
息を詰めて飛び降りる。
コンクリートに叩きつけられた僕の足は痺れていたが、そんなことよりも僕が心配したのは、
(思ったよりも大きな音がした!)
ということだ。案の定、僕の耳に響きだけは穏やかな声とだみ声が聞こえてきた。
「おい。今の音」
「野郎ォ、窓から逃げやがったな!」
やばい。これはやばい。
僕は未だに感覚が乏しい足を引きずるようにして走った。どこをどう、という考えもなく、ただ走りやすいコースを選んで進む。そうして右折と左折を一回ずつした辺りで、
「もう逃げらんねぇぞ、てめぇ」
茶髪にピアス、よれたスーツといういかにもな格好をした男が僕の目の前に立ちはだかった。ポケットに手を突っ込んでジリジリと近づいてくるソイツから逃げようと僕はきびすを返した。が、
「鬼ごっこは終わりにしようや、兄ちゃん」
ぱりっとしたスーツを着込んだ三十代のいくつにも見える平凡な男にぶつかりそうになって、僕は急ブレーキを掛けた。がくがくと震えていた僕の足は急停止に耐えられず、僕はそのままへたり込んでしまう。
「今まで待ってきたが、兄ちゃんが金返す気がないなら仕方ねぇなぁ」
狭い路地で空を見上げながら、目の前の男は煙草に火をつけてボソリと呟く。
「本当はこんなやり方好きじゃねぇんだが。兄ちゃんには内臓でも売って金を作ってもらうしかねぇなぁ」
「まさに『身を削って』金を稼ぐわけだ。心配すんなや、多分、死にゃあしねぇよ」
いつの間にかちんぴら風の男が僕の肩をがっちりと掴んでいた。
ああ、ここで終わるんだな。そう悟った僕はゆっくりと意識を閉ざす。次第に目の前が暗くなっていき――
チュンチュン、チチチ……。
小鳥の鳴き声と柔らかな日差しに五感を刺激され、僕はゆっくりと目を開ける。
「夢か……」
寝汗で少しベタつくシャツをつまんで一人ごちる。
借金取りに追われる夢か。何てばかばかしい夢だ。僕にとって最もありえない状態の一つだとも言えよう。
「おはようございます、若旦那様。朝食をお持ちしました」
「ああ、おはよう、瀬場さん」
僕と六つしか違わないのに、昨年この家のメイド長になった瀬場さんと朝の挨拶を交わす。二十代の女性が総勢百余名の使用人のトップになったことは、長く続いている僕の家の歴史上でも前代未聞のことだ。しかし、一度でも彼女を見たことのある人なら、そのことを疑問に感じることは決してない。使用人としての技能は勿論、人として獲得しうるものを全て持っていると言ってしまっても良いと僕は思っている。そして、それだけじゃなく――
「今日も綺麗だね、瀬場さん。……いや、ひかり」
「ありがと、タク」
瀬場さん、ではなくひかりは後ろ手にドアを閉めてから、フフっと子供っぽい笑みを浮かべる。僕にしか見せない笑顔だ。
僕とひかりがこういう関係――有り体に言えば恋人同士になったのはつい一ヶ月前のことだ。勿論それまでに色んな障害があった訳だけど、そんな過去よりも幸せな今を僕はしっかりと見つめていたいと思う。
「今朝も一緒に食べるだろ?」
「ええ、もちろん。でも、その前に……」
ひかりは少し顔を赤らめて、ベッドの上で上半身を起こしただけの僕に近づいてくる。
あまりにも大きいベッドの欠点は、そのすぐそばまで来ても中央にいる僕まで距離がありすぎることだ。ひかりがベッド横に立ったままで僕が座ったままだと、お互いに手を伸ばしても触れることの出来ないほどの距離がある。
ぎしっ。
ひかりがベッドの上に乗って、両手と両膝を使って僕の方に近づいてくる。
あまりにも大きいベッドの利点は、二人分の体重にも耐えられ、また二人でその上にいても決して窮屈ではないことだ。
お互いの息づかいまで感じることの出来る位置にまで近づいてきたひかりは、そっと目を閉じて何かを、僕から与えられる何かを待っていた。
「しょうがないなぁ」
と言う僕も、本音は決して嫌なわけではなく、むしろそうすることを望んでいる。そんなことくらい、ひかりは分かっているだろうが、分かっているからこそ自分から言ってきてくれる。これが付き合っているということなのかな、とか考えながら――
僕は数秒ほどひかりの可愛い顔を眺めた後で、目を閉じてわずかに残っていた数十センチの距離をゼロに近づけ……
ピピピピ……。
目覚まし時計の電子音が耳について、僕は顔をしかめる。力任せに時計を叩き、そのついでに時計を掴んで時間を見る。そこにはいつもと代わり映えのしない数字が並んでいた。この時間に目覚まし時計をセットしていたのは僕自身だが、
「なんで、あと一分だけ待ってくれないんだよ……」
誰にともなく恨み言を漏らす。せっかく良いところだったのにな、と思いながらも僕の身体は平凡な日常を送るべく、学校の制服を着込んでいく。全ての準備が終わったあと、部屋を出なければいけない時間までまだ数分あったので、質素なベッドに腰掛けて昨晩――か今朝かは知らないが――見た夢を思い返す。
夢を見ていた夢、というのは別段珍しいことでもないが、ここまで徹底的に違う夢だったのは初めてだ。ごく標準的な学生の僕とは両極端に違う二人の僕がそこにいた。急速に薄れつつある夢の印象を、必死でつかまえるでもなく何となく見送りながら、ふと僕は思う。
借金取りに追いかけられる夢と。
財産と完璧な恋人とを手中にしている夢と。
どちらでもない、中庸な現実と。
どれが一番の悪夢でどれが一番の良夢なのだろうか。そこに絶対的な答えは無いのだろうけど、それじゃあ僕はどう思っているのだろうか。
「やべ」
腕時計の針は、いつもの僕なら既にこの部屋にいない時間を指していた。
鞄を掴んで、僕はほんの少しだけ急ぎ足で学校に向かう。
日常が、始まる。
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いかがでしたでしょうか。
「夢」をテーマにショートショートっぽいものを書こうという、
ショート・ドリームと題したコーナーの第一弾です。
軽く書けるものを書こうと思っていたのですが、
この分量を書くだけでもかなり時間は掛かってしまいました。
でも、ネタが尽きるまでは続けようと思います。
多分、これからもこのくらいの分量になると思います。
もし、よろしければ、
これからもおつきあい下さい。
では、また。