「待って! 行かないで! あたしを置いていかないで!」
せっぱ詰まると、自然と恥ずかしい台詞が出てくるものだ、と初めて知った。後で思い出して顔が熱くなりそうだが、今はなりふり構っていられない。しかし、セイイチは、
「どうしたんだよ、今日は? いつもはこんなにまとわりついてこないのに」
ただ困惑しているだけのようだ。こちらの言葉が通じないことが、これほどもどかしかったことはない。彼にしがみついてみても、とどまろうという素振りは見えず、ただ、いかにしてナコをなだめようかと考えているだけのようだ。
「行っちゃだめ! 危ないかも知れないの! ……せめてデンシャには乗らないで! お願いだから!」
少しでも危機感を伝えようと言葉の限りを尽くすが、ただの一単語すらも伝わっていない。セイイチは困った表情をナコと彼の手首で回り続けている針とに交互に向けていたが、
「あ、そうだ」
何かを思い出したのか、不意に鞄をごそごそと探ると、帯のような細長い物を取り出して、
「この間、……で見つけたんだ。キミに似合うと思って。ほら、着けてあげるよ」
と、ナコの首の後ろに手を伸ばす。ちりん、と澄んだ音が数回響いた頃には、
「うん、やっぱり良く似合うよ。その鈴がキラキラしてていいだろ?」
すぐ近くにあったセイイチの顔が離れていく。そして、綺麗な音色を奏でていた鈴がナコの顔のすぐ下で、また一度震えた。
首に巻かれているのでナコからはほとんど見えないが、セイイチが鞄から取り出したのは鈴をあしらったチョーカーのようだ。
「キミへのプレゼントだ。その、ケジメ、みたいなものなんだけど。もしキミがどこにも行くあてがないんだったら、僕と一緒に暮らさないかな、と思ってさ」
何とも言い表しようがない感情がナコの身体を走る。焦りと不安でいっぱいだったところに驚きと喜びが混じって、一切の挙動が止まった。そして、身体が硬直から抜け出して最初に行ったことは、首元の鈴を揺らすことだった。
澄んだ音がナコを震わせる。見えはしないが、自然と視線が下がる。しかし、音の余韻に浸る間もなく、
「じゃ、行ってくる。……そうだ、帰ってくるまでにキミの名前を考えとくよ」
セイイチの声が頭上から届く。ナコがハッと顔を上げた時には、閉まりゆくドアがセイイチの微笑みを遮ろうとしていて――
「ま、待って!」
一歩目を踏み出す前にドアが音を立てる。
突然の出来事に我を忘れたせいで、作戦その一は失敗してしまった。後悔で思考が停止しそうになるナコだったが。
「……まだ、間に合うかも」
今から自分も外に出てセイイチを追いかければ、彼を引き止められるかも知れない。それに、作戦その二を実行するためにはいずれにせよ外に出る必要がある。
頭を振って気持ちを切り替え、いつもの窓へと向かう。窓に飛びつき、地面に着地。その度に鳴る鈴の音が、ナコを凛とした気持ちにさせてくれた。
地面を駆けるたびに鳴る鈴の音に背中を押され、四日前にセイイチの後をつけたルートを急いで辿った。しかし、見慣れた後ろ姿は見つけることが出来なかった。ナコが玄関で引き止めたために、セイイチも急いでデンシャに向かったのだろう。もしかしたらどこかで追い越してしまったのかも、とデンシャと先住民が出入りする施設の前で少しばかり待ってみたのだが、結局セイイチは見つからなかった。先に行ってしまったと考える方が自然だ。
となると、急いで作戦その二を実行しなければ――兄たちを探さなければならない。デンシャの通り道に何か仕掛けをするようなことを言っていたから、その通り沿いを探すのが良いだろう。
そう判断してナコは、以前セイイチを乗せたデンシャが向かった方へと顔を向ける。長い長い鉄のレールが横たわっていて、どこまでも続いているようにさえ思う。ナコの細い足でどこまで行けるかは分からないが、行ける所までは行かないと。
ナコは走り出す。まだ高くない位置にある太陽が少し眩しかった。
「……どうしよう」
漏れた溜め息は落胆からか疲れからか。おそらくどちらからもだろう。何度目かの一時停止中に、ナコは空を見上げて顔をしかめる。兄を探し始めた時には登り始めだった太陽は、空をぐるっと巡って、今はもう地面に半分隠れていた。
もうどれくらい時間が経ったのだろうか。
探し始めてからしばらく走っていると、見覚えのある光景に辿り着いた。ナコがセイイチに拾われた場所の付近だ。セイイチがデンシャで往復しているのはココまでだろうと判断して、折り返して来て、今丁度、
「真ん中くらいかな……?」
往路と同じくらいの時間をかけて戻ってきたはずなのだが、やはり疲労がナコの身体を重くしていたようだ。セイイチが部屋に帰ってくる時間まではまだしばらくあるが、このままのペースではセイイチを部屋で出迎えることは出来そうにない。もっとも、セイイチが何事もなく帰ってくればの話だが。
途中で何度も擦れ違い、追い抜かれたデンシャの速度から考えると、セイイチが乗る帰りのデンシャが走り始めるまでにもまだ少し時間があるが、しかし余裕があるわけでもない。
いっそ、兄たちがどこにも見つからないまま時間が過ぎてくれれば。ナコが部屋に帰るとセイイチが出迎えてくれて、翌日には見知らぬ誰かの不幸を二人で悼んで……。
もしかしたら訪れるかも知れない、そんなささやかな妄想はしかし、離れたところから聞こえた声にかき消された。