「待って、お兄ちゃん! 違う、違うの!」
「? 何が違うと言うんだ?」
怪訝な顔を見せる兄に、ナコは互いの誤解を説明する。
「あたしが襲われたのは、あたしたちの世界から来たガラの悪い男たちで、だから、先住民の人たちは――」
「悪くないとでも言うのか?」
……え?
「確かにお前が直接被害を受けたのは先住民たちからではなかったかもしれない。だが、ガラの悪い連中は、俺たちの世界にいた頃からそうだったわけではない。大半がまともだったヤツらか……こちらの世界で生まれたヤツらばかりだ」
そうか。こちらの世界でも子供は生まれるのか。ずいぶんと昔からナコの世界の住民は『選ばれ』続けてきたのだから、考えてみれば当たり前だが、ナコは兄に言われて初めてその可能性があったことに気が付いた。
「それに、アイツらが――先住民どもがこちらの世界を支配している以上、アイツらが俺たちを『選』んでいる可能性が高い。その目的は分からないし、どういう方法なのかも分からないが……。俺たちが元の世界に帰ることが出来るとしたら、アイツらに何とかさせるしかないんだ」
ナコは理解した。兄はずっと前、『選ばれ』る前からこのことを考えていたのだろう。もしも、自分が『選ばれ』たならば――。丁度、ナコが兄を探すことを決心していたように。
それでも、
「それでも、先住民たちがみんな悪いわけでもない! あたしは、助けてもらった。セイイチに、助けてもらった!」
ナコは叫んでいた。どうして、素直について行くと言えなかったのだろう。ナコの目的は兄を探すこと。それが達成された今、兄と共に行くことがナコの次なる目的になるはずだった。それが自然なことだと、理性は今でも判断している。それなのに現実には反抗の言葉を兄にぶつけている。
「そうか……」
兄は一瞬だけ驚いた表情を見せた後、寂しそうな、嬉しそうな、複雑な微笑をナコに向ける。それは、ナコが初めて見る兄の表情だった。
「そうか、ナコは、俺たちと共に戦うことは出来ないんだな」
ナコは頷く。兄も一つ頷くと、表情を引き締めた。
「分かった。……だが、俺たちの計画は止まらない。ナコ、邪魔だけはしてくれるなよ」
兄は背を向け、少し後ろに控えていた二人を促す。薄暗い路地の更に奥へと消えようと歩き出し――兄は背を向けたまま立ち止まった。
「ナコ。お前まで『選ばれ』てしまったのは残念だが。それでもお前が元気そうで良かったよ」
兄の声は小さかったが、ナコの胸に強く響いた。
「あ、あたしも! あたしも、会えて良かった。……またね、お兄ちゃん」
兄は反応しなかったが、その背中の向こう側でいつもの微笑みを浮かべていてくれている気がした。
どうしよう。
「ん? 美味しくなかったか?」
その日の夜、いつもの時間に帰ってきたセイイチとの食事中。彼の作ってくれた料理が口に合わなかったので、どうしたものかと思案していた、というわけではなく。
「何でもないよ」
と答え、更に行動で示すべく、目の前の料理を口に運ぶ。
不安げだったセイイチの表情が一気に安堵に緩むのを視界に入れながら、ナコは今後の身の振り方について悩んでいた。
兄を見つける。こちらの世界で、命を賭してでも達成しようと思っていた目的は、呆気なさ過ぎるほど早くに果たされてしまった。
その後は兄に着いていくものだとずっと考えていたので、異なる選択をした今、次に何をすべきか全く思いつかないでいた。
今日を食いつなぐことすら困難な状況であったならば、そんなことを考えずに済んだのかも知れないが。
「ん? 僕の顔に何か付いてる?」
目の前で口元をこすりながら鏡を探している先住民のおかげで、幸いにも今日明日にも飢餓と闘わなければならない、ということにはならないだろう。この男は何も言わないが、本当に何もしなくても、一生ナコを食わせてくれるのではないだろうか。兄が言うには、先住民はとにかくろくでもないらしいのだが、目の前の男もそうであるとは、ナコにはどうしても思えなかった。
他の先住民のことは、ナコは知らない。でも、セイイチは信じよう。身元も分からない、言葉も通じない、異世界の民であるナコを拾ってくれて、今もナコにずっと話しかけるこの男は。……友達だ。施してもらうばかりで、全然対等ではないけれど。それでも、友達だと言いたい。そして、友達だと思ってもらいたい。
あ。そうか。今、あたしがしたいこと。あたしの目標。見つかった。見つけた。
「セイイチ。あたし、あなたの親友になる。あたしのこと、親友って呼ばせてみせる」
「ん? そうか、美味いか。良かった良かった。初めて作ったヤツだから、ちょっと自信なかったんだよ」
相変わらず言葉は通じない。それでも感情の浮き沈みは伝わるようになってきた。
そうだ、最終的にはあたしの言葉を分かってもらおう。それで、助けてもらうばかりじゃなく、セイイチと助け合って生きていく。そうやって、この世界であたしは暮らしていこう。
決意を目に宿らせて、セイイチを見つめ、
「あれ? どうしたの、セイイチ?」
彼の右手に痣を見つけた。ナコの心配そうな声音と視線に気付き、セイイチは軽く手を挙げてみせ、
「ん? これか? そーだ、聞いてくれよ。今日さ……」
憤っているような、それでいて少し嬉しそうな表情で、セイイチは話し出す。ちょっとイヤなことがあって怪我をしたが、愚痴る相手がいて嬉しい、といったところか。
「……で、途中で……が沢山乗ってきてさ。もう……の中はギュウギュウ。多分その中の誰かの荷物が当たったんだろうな。そのせいだよ、この痣」
いくつか聞き取りにくい単語の中に、聞き捨てならない言葉があった。
待って。何て? 何て言った、セイイチ? ……デンシャ? デンシャ、って言った?
デンシャの中はギュウギュウ。多分その中の誰かの荷物が――
「どうした? やっぱり不味かったか?」
セイイチが心配そうに聞いてくるが、ナコは反応出来なかった。
どうしようどうしようどうしよう。先ほどまでの自分に降りかかっていた漠然とした不安とは決定的に違う。
五日後、セイイチが、危ないかも知れない。
何も考えられず、ナコは寝床へと向かう。彼女のために、とセイイチが簡易ではあるが用意してくれたものだ。
ふらふらとした足取りで歩くナコの背後からは、嫌いな味付けだったかな、と首をかしげるセイイチの独り言が聞こえた。