大浦半島は漁師町の野原漁港より
野原太鼓
ドドドンッタタドドドン♪
合図に
笛の音を奏でながら
いざ出港!!
大漁旗、老人嶋神社の赤い幟をなびかせて
海の上を漁船で約40~50分
私のお世話になった舟は
一番最後に出発しましたが約20分切り

髪もぐしゃぐしゃでヨロシイか!?
船長は、
『この舟はオッサンしか乗しとらん!!』
冠島へ
舟が着けない為
乗り換える渡り舟が必要なのです
続々と到着
無人島な為に
岩場、石の足場なので歩くのにも
少し時間がかかります
老人嶋神社の鳥居をくぐり
石畳の参道の先には
右側に社殿が在り
左側は社務所であり避難所になっている
各舟の赤い幟を立て
しょうぶ、よもぎ、熊笹の葉で包んだ粽
供物は描け魚(カケノイオ)
御神酒を奉納し
海上安全、豊漁祈願
神主様の修祓祝詞
三区長及び漁業組合長の玉串奉納
一般祈願
この日は約250人
今年も無事に参らせて頂きました事に
感謝致します
並んでる時に
オオミズナギ鳥の巣です
オマルでは在りません!!今年は会えました
が
は間に合わずでした
は間に合わずでしたオオミズナギ鳥は、
直ぐに羽ばたけないので
この奥には、助走して飛ぶ為の滑走路なるものが有ります
内心は追いかけて見てたかったですが
大切な自然環境保護の為
皆様静かに見送りました
次回はゆっくりご挨拶をさせてね
神社を後に
ちゃんこ鍋
大きな白いか
ヒラマサ、鯛の刺身、
沢山の海の幸、お寿司…
ご馳走を頂きました
日本海万歳

海の幸万歳

\(^-^)/
神秘な冠島
海の神さん
日本海の安全と
素晴らしい海の幸に
感謝致します
漁師の皆様
大変お世話になり
有難う御座いました
島を後に各漁村へ帰り
港に戻ってくると、
迎えの船が出てきて、
二隻並漕して神さん回り(時計の針と逆回り、
時計回りを葬式回りという)に三度回る
その間に両船は接舷して、
迎えの船からお神酒を持って
乗り移った人が、
島参りをしてきた人に注いでまわる
港に着いて片付けが終わると、
一同は一度着替えに戻り、
留守番をしていた人も加わって酒宴が開かれる
*若狭湾舞鶴湾岸一帯の漁村では
赤い幟に「老人島大明神」と大書し、
周囲を圧倒するかのどとく林立し、
信仰の厚さを物語っている
*老人島神社の横に
弁財船の模型が奉納されているが、
これに乗って老人島の女神が
海を渡ると考えられており、
船玉神社と呼ばれている
明治五年、若狭国西津小松原から
海上安全を祈念して寄進されたものである
境内の石仏や狛犬には
「安政三丙辰年仲秋・奉再造弁天・小浜講中」
「若州高浜東ノ町講中・慶応元丑歳八月吉日」
と、島参りの衰微した若狭からのものがみられる
養蚕が盛んなころは、
由良川流域の農家が繭の豊作を祈願して、
団体で島参りをし、染め絹を奉納する
「養蚕参り」が行われた
東舞鶴の市場地域からは毎年桑苗を
冠島へ寄進したといわれている
*石を持って参るのは、
これも一種の大漁祈願とみなされ、
伊勢神宮の式年遷宮に行われる
白石持ちの行事に通じるもの?
ちなみに大浦半島の漁師は、
出漁のとき陸の石を積んでおき、
わざわざ冠島の海岸まで近づいて
石を島に投じてから漁をはじめる
習慣があったという
《冠島の所有について》
若狭湾岸の漁村では、
江戸時代前期にはすでに
三浜・小橋・野原三地区のものと
慣行的に認めていたようで
元禄十一年(一六九八)に
若狭の三方郡早瀬村の船頭らが、
沖島(冠島)を基地として出漁するため、
三浜など三か村庄屋に対し
場代を納める証文をかわしている
冠島を共有する三地区は、老人島神社の鍵番を輪番でつとめ、
鍵番の地区が島参りの祭典を
主宰することとなっている
島参りで老人島神社や瀬の宮に参拝した後、
九石の折り重なる海岸で直会を行うが、
これはこの三地区だけである
因みに野原では
五月二十八日から
六月五日まで鯉のぼりを立てる












