今月のはじめ、
RIP SLYME のライブに行く途中、
人通りが少ない広い歩道を
一人で歩いていた時に、
道の端っこを歩いている自分に気づいた

試しに、真ん中を歩いてみた
数10メートル歩いた時、
いつのまにか、真ん中から端っこにいる自分

試しに、意識的に真ん中を歩いてみた
なんだか居心地が悪くて、
下を向いて歩いている自分

自分を実験&観察してみたら
いろんなことが繋がって

もしかして、
わたしは、
自主的かつ、積極的に
「かわいそうな人」
に、わざわざなろうとしている?

「かわいそうな人」になりたいから、
そうなるために、
わざわざ自分から、そうなりに行ってる?

そこ、味わいたかった?わたし。


滝汗



何気に撮ったこの写真は、
もはや、逃れられない、証拠写真(現行犯確保)
 ↓↓



数時間前、
「自撮り」っていうメッセージが
頭から離れず、撮ってみたのが、
この写真

この写真の人をどうすれば、
「堂々と道の真ん中を歩けないほどのかわいそうな人」に調理できるのだろう…
と、いう、無理がありすぎるフォルム。











夕暮れ時、一人で
噴いたw
ニヤニヤ 無理ありすぎダロ


かわいそうな人から、あやしい人へ。
正確には、かわいそうになりたかった人から、あやしい人へ。
(てか。「かわいそうになりたかった人」←そもそも、この時点で、十分あやしい人。)






そして、
交差点に近づいたあたりで、
あやしい人(わたし)は呟いた
「なんだー、わたし、かわいそうな人を味わいたかったんだー。笑」
「あー、かわいそうな人、やーめよっ、と。」
勝手に卒業宣言





その後、
あやしい人は、ライブで、
一人で大はしゃぎし、
余韻を楽しむ若い子たちや、
狭い通路で無駄にぐずぐずしてるカップルたちに(←よくあるやつ)
「すみません(通路あけて下さい)真顔
と、使い慣れない堂々さ という技にチャレンジし、
さっさと帰った。





その日を境に
あやしい人は、
「かわいそうな人にわざわざならなくてもいい」を
日々、自分に言いきかせるようにしたら、
選択や受け取り方、行動の変化を
最近、実感している


ちなみに、わたしは
わざわざ「かわいそうな人」になるための
いくつかの技も習得していた。
それは、「寒さ」という気温すらも、活用できるほどグッ

どうやら、わたしは気づかぬうちに
持前の、マイペース&鍛錬力&研究魂を活かして
黒帯有段者レベルにまで到達していたようだ。
(「かかってきなさい」藤岡弘、風に)




何よりも驚きなのは、
いわゆるコントといわれるやつを繰り広げて
わざわざ苦しい方を選んで苦しがっていた
そんな自分に対する感情。
 
 
長くなったので、
つづく
 
 
 
 
藤岡弘、