あと3日でクリスマス…

 

それが過ぎたら、年越し、お正月

 

それが過ぎて3月になったら、わたしの誕生日

 

わたしは、この12月後半~自分の誕生日までの期間が大キライ

その日が来る直前は毎回ビクビクして

当日は気が気じゃない

家に籠っても、TVからはクリスマス特集やCMが流れてくるし

完全に情報を断っても、そんなことしてる自分がイヤになる

 

誕生日なんて、一番怖い日だ

自分の誕生日なのに

一番怖くてしかたない日が

自分の誕生日だから、大キライだ

 

ここ数日、いつにもなく

クリスマス関連のモノに過剰反応してた

子どもの頃のクリスマスについて思い出してみた

今回は、抗うこと自体ができなくなり、覚悟を決めて

キライを探ってみたら、怖さの方が強かった

怖さの底には、怒りがあって、そこには悲しさや寂しさも在った

 

 

 

子どもの頃、

クリスマスツリーは祖母と一緒に飾っていた

けれど、祖母が体調を崩してから、いつの間にか飾らなくなった

 

わたしの家のサンタさんは、なぜか毎回プレゼントを1日遅れで届けてた

25日の朝、学校の話題についていけず、

26日の朝になったら、話題にすらあがってなかった

喜びを分かち合うのではなく、噛みしめてた

おいて行かれたような悲しさを噛みしめてた

後回しにされたような悔しさを噛みしめてた

 

サンタさんにお願いするプレゼントは

キャラクター物がキライだった母がOKをくれるようなものを選んでた

基本的に一人で遊べるようなものが多かった

祖父母が入退院を繰り返してた頃に

なぜか、プレゼントに人生ゲームをお願いした時があった

ほとんど一人でルーレットを回して、一人でコマを進めて遊んでた

その時の自分の気持ちはわからなかったけれど

本当は誰かと一緒に遊びたかったんだ

本当は、寂しかったんだ

 

当時、会社努めで営業をしていた父が

クリスマスケーキをよく大量に持って帰ってきていた

父の姿は思い出せないが

「こんなにケーキを買ってきたのは

仕事の付き合いだから仕方ない」

と、大量のケーキを毎日のように食べながら

父以外の家族が話しているのを聞いた

 

けれど

あの時、本当は

たくさんのケーキは嬉しかったけれど

本当は、わたしのためにクリスマスケーキを買ってきてほしかった

1つでもいいから、家族のためにケーキを買ってきてほしかった

 

 

年越し、お正月は

祖母は元気な頃は、家にたくさんの親戚が集まっていた

実家に帰省するよう祖母に促された母は

渋々、わたしを連れて実家に帰省したが

夕食を食べただけで、家に帰っていた

「うちの嫁は、全然実家に帰らない」

と、祖母が近所の人にぼやいていたのを耳にして

何だか、複雑な気持ちになった

 

元旦は、母に連れられ、宗教活動の一環で初詣に参拝していた

祖母は、母とわたしを積極的に送り出していた

朝早く出発するため、年越しは早く寝ていた

元旦の夕方に帰宅したら、すでに親戚は集まっていた

家は賑やかだった

お年玉もたくさんもらった

例え子どもであろうと関係なく、

もてなす側としての振る舞いは

わたしの習慣であり、当たり前のことになっていたから

何の違和感も感じなかった

 

年明けに登校したとき、

初詣はどこに行ったかを聞かれても

信仰を内密にすることが暗黙の了解となっていたから

わたしは、答えられなかった

また、世の中の流れから

ひとりだけ取り残されたような気がした

また、おいてかれたような悲しさが出てきたけど

その悲しい波に飲み込まれてしまうのが怖くて

感じないようにした

友だちから少し距離をおいて、遠くから眺めるようにしてた

 

けれど

あの時、本当は、

みんなが行くような神社とかに連れて行ってほしかった

おみくじを引いたり、屋台でお年玉を使ったりしてみたかった

お正月の出来事を友だちと話してみたかった