わたしは自分の誕生日がキライになった
決定的な出来事がある
いつかは忘れたけど、学生時代だったと思う
宗教活動を通じて、母と懇意にしている人から
「あなたの生まれる日が
もう一日早いか遅ければ、良い日だったのにねぇ」
と、言われたことがある
ここで云う、良い日は
天赦日などといった縁起のいい日のことで
運気が強い、パワーがある、自分の願いを成就しやすい日のことだ
母はその人(Aさん)をとても尊敬し、慕っていたから
わたしも自然にAさんを尊敬していた
わたしが悩んでいることを相談し、
Aさんが話をはじめたら、わたしはいつも泣いていた
なぜだかわからないけれど、
涙が止まらなくなって喋れなくなる
だから、その人が一方的に話すような状態だった
理由のわからない涙が出る
Aさんはスゴイ人なんだと思っていた
そのAさんから
「あなたの生まれる日が
もう一日早いか遅ければ、良い日だったのにねぇ」
と、言われたときに
わたしは
生まれる日時を間違えた人で
徳が低い人なんだと思った
わたしは「欠陥品」、「不良品」という
わたしの自分自身への価値が下がったと同時に
自分の誕生日もキライになった
Aさんはわたしの名前を考えてくれた人でもある
わたしには、名前がある
生まれた日がよくない日でも名前があるから
まだ、救いはある
まだ、望みはある
自分の名前はそこまで好きではない
あるようで珍しい名前だから
呼び方をよく間違えられるし、
「○○子」みたいな
最後に「子」がつく名前がうらやましかったし、
小学校の早いうちから習う漢字で
漢字で名前を書けるのもうらやましかった
そこまで好きではない
わたしの名前だけれど、
わたしの救いでもあり
わたしの希望だから