昨日、森猫さんの脳内言い訳に相槌をうつ自分をみて
「成金ダサイから、キライ」の自分がバレた![]()
お金の問題は
お金の問題ではないのだよ
という、ぢんさんの言葉が心にひっかかったまま家に帰ったら
成金代表選手の金遣い荒い母が
いつの間にか購入したタブレットとにらめっこしている姿をみて
明らかに購入のきっかけも宗教活動、そんな母の姿をみて
わたしはブチン!とキレたのを機に
お金の問題は
お金の問題ではないのだよ
という、ぢんさんの言葉の意味がようやくわかった
わたしは、生まれてこのかた
お金には、今まで困ったことがない
お金が貯まらないことはあっても、無くなったことはない
お金がもっとあれば…あんなことやこんなこともできる…いいな
って、思うこともあるけど
差しあたって生活に支障が出ない、困ってない状態なので「なんとしてでも!!」という湧き上がるものがない
なので、正直言うと、「将来、生活に支障をきたすほどお金に困る」という不安はあるけど、本当になくなった経験がないせいか、大丈夫だろうと思う気持ちの方が強い
さらに白状すると、今まで、心屋のお金の話は真剣に読んだり、聞いたりしてなかった![]()
(すみません)
が。
この記事だけは、どーもひっかかりが強かったのである
わたしは、昨日、そんな母の姿をみて
「あぁ、わたしは、母のようになりたくなかったんだ」と心から思った
同時に
「わたしは、父のようなかわいそうな人にもなりたくなかったんだ」
父のようにお金を稼いでくる
↓
母の浪費が加速
↓
父、愚痴る
↓
不仲な両親をみて悲しかった
家の中がギスギスしてしんどかった
何を言ってもわからない母に怒ってた
わたしに愚痴るだけで、母には直接何も言わず、何もしない父にも怒ってた
本当は母も恨んでたし、父も恨んでた
さらに、わたしは、どうやら「お金」にも恨みをもっていることも発見
そもそも「お金」がたくさんあるから、わたしはこんなに苦しい思いをするんだ
「お金」なんて、そこそこあればいい
「お金」なんて、ほどほどでいい
「お金」は、たくさんない方が平和
「お金」のせいで、わたしは不幸
「お金」のせいで、父はかわいそう
「お金」のせいで、母の浪費癖が加速する
だから、「お金」は、ほどほどあればいい
ほどほどのお金がちょうどいい
それに
ほどほどのわたしでちょうどいい
存在(わたし自身)も給(お金・価値)も「ほどほど」設定…![]()
(一番、気の毒なのは、よくわからない罪をなすりつけられた「お金」
ほんと、ごめん)
ぢんさんが言う通り、今まで「わたし」は「ほどほど」でちょうどよかった
むしろ「ほどほど」だから生きてこれたのかもしれないし
無意識に「ほどほど」が最善だということを選んできたのかもしれない
「ほどほど」という、差し障りのないテイストでおさめていたのも
父や母への怒り、悲しみ、恨み…を感じたくなかったからだ![]()
この記事に引っかかったのも
今まで、自分を守るために定めた「ほどほど」の防波堤は
もう、とっぱらっても大丈夫だよ、というサインなのかもしれないな…
と、思ったタイミングで、びわっちさんの記事があがってきた(さすが)
そもそも わたしはわたしだったんだ(びわっちさん)
誰のせいでもない
そもそも わたしはわたしだったんだ。
そんなわたしは
今 何がしたい? 何をする?
それでいいんだ。
「ほどほど のわたし」から「そもそも のわたし」へ、戻ろう
戻ろう
還ろう
カエル
