家族の中にわたしを理解してくれる人がいた

それは、今まで一番遠い存在の父だった
イマイチまだ実感は湧かなかったが、
以前に比べたら、断然、気がラクだった
父とも、みるみるうちに仲良くなった
 
 
音信不通になった彼のことは気がかりで仕方なかった
彼が職場から姿を消し、どこにいるのか
彼とわたしを心配した職場の先輩が、体当たりの捜査網で情報を得て、わたしに伝えてくれた
彼は、県外のお姉さんのところに身を寄せていた
もう、会えないかもしれない
そう思うと心が爆発しそうになった
 
心も身体もフラフラだ
わたしはなんとか仕事に行き、帰ったらひたすら泣く、毎日それを繰り返していた
 
しばらくすると、その会社の先輩が彼がこっちに帰ってきて、別の職場で働き出したという情報を得て、教えてくれた
 
安心した
けれど、彼からわたしには連絡はなく
彼のことでズタボロになっている自分という
その現実を見て
彼にとって、わたしはそんなもんだったのかと、わたしは受けとめて悲しくてたまらなかった
だけど、諦めたくない気持ちが強かった
 
わたしは、まだ彼にちゃんと自分の気持ちを伝えてない
気持ちを伝えたい
だから、気が済むまで、わたしは待とうと決めた
 
年末になり、ようやく1年間の研修が終わった
ホッとしたという気持ちも湧かなかった
呆然としていた
 
研修が終わる手前から、生理が終わらなくなった
不正出血が続いていた
なんだか、嫌な予感がして、年末でも空いている産婦人科を探した
空いていたのは、偶然にも、わたしが生まれた病院だった
 
診察結果は、子宮内膜ポリープだった
小さいから、はっきりとわからない
詳しく調べて見ないと、ポリープかどうかはわからないが悪性である可能性は低い
ポリープだった場合、生理も重いままで妊娠もし難くなるから、切除をお勧めすると言われた
 
目の前が真っ暗になった
子宮癌だった祖母を思い出し、死ぬかもしれないとはじめて思った
 
詳しく調べるために、ピルを飲んで生理を整えましょうと、ピルを処方された
 
最悪の年越しだった
 
ピルの副作用で吐き気と倦怠感がおさまらず、妊娠もしていないのに悪阻のような症状がでる
可能性は低いが悪性だったらと思うと
ろくにご飯も食べれない
情けなくてやりきれなかった
 
けれど、その時にはじめて
わたしが女であることを実感した
今まで、無理をしていた自分に申し訳ないことをしたと思った
わたしはちゃんと治療しようと決めた
そして、これからは、自分の心も身体も大事にしよう
上司にも子宮にポリープがあるため、手術を予定していることを伝え、仕事もセーブしてもらうことになった
 
通院時、妊婦さんに囲まれた待合室にいると、新生児の赤ちゃんをよく見た
新生児の赤ちゃんを見たときに、今まで感じたことのない、なんともいえない温かい気持ちになった
わたしも赤ちゃんを産みたい
 
周りから言われたり、親に孫の顔を見なくてはいけないとか、後継ぎを残さないといけないからとか関係なく
はじめて、自分から、自然にそう思えた
 
 
 
2月に手術をした
母には送り迎えだけをお願いした
一緒にいると、余計にしんどいから
一人で来たわたしに看護師さんは驚いていた
病理検査でポリープは良性のものだった
 
 
年末に子宮内膜ポリープが見つかったのを機に、わたしは母に、しばらくあの宗教活動の拠点には行かないと告げた
さすがに母は何も言わなかった
このことのおかげで、はっきりとそう言えたようなものだ
わたしがわたしを守ってくれたんだ
そう感じた
 
術後も、なかなか体調が戻らず、何をするにもいつもの倍くらいの時間がかかった
無理せずゆっくりと過ごし、今まで自分だけでこなしていたことも、人に助けてもらいながらやっていた
 
できない自分
それを受け入れることにひたすら専念した
 
体調がすぐれず、あまり動けない
必要最低限の生活を送っていたら
わたしが本当に好きなもの、嫌いなもの
わたしが本当に必要なもの、あってもなくてもいいもの
わたしにとって大事な人、嫌いな人、どっちでもいいことなどが明確になり
わたしのとりまく環境はシンプルになった
 
 
 
秋になり、だいぶ体調が回復した頃、
音信不通だった彼から
突然連絡がきた