一緒に住んでいるのに父とまともに話をするのは、何年ぶりだっただろう
父は基本的に家では口を開かない
時々、わたしが父と話していると
その隙を狙って、母が会話に割り込み
会話の流れをぐちゃぐちゃにする
盛り上がっていた会話も、一気に冷める
空気が一気に悪くなる
母は主役になりたいので、キャッチボールが苦手なのだ
それを避けて、わたしも父も、母がいるときは会話をしなかった
それに、わたしには父に対して、学生時代の罪悪感が残ったままだったから
父と話すのが苦手だった
そういえば
数ヶ月前、ごはんが食べれていた頃だ
極限状態のわたしは、はじめて母に自ら噛み付いた
疲れて帰宅し、疲労を増幅させるような酷い料理にブチ切れた
父の目の前で、母とやり合った
父は黙ってみていた
その翌日、父から
「昨日はよく言ってくれた」というショートメールが来た
「心底、腹がたった」と返信した
心の中では、あの時、援護してくれてもいいのにとイラついていた
おそらく、父はずっと、この家でひとりぼっちの気持ちだったのだろう
わたしは、ずっと母についていたから
しかし、わたしが母に噛み付いたことで、
父は自分がひとりぼっちではないことを知ったのだ
父に呼び出され、わたしの悩んでいることの一番は彼のことだったが
それを言う勇気がなかったから
仕事の研修のことから話した
鼻で笑わらるか、叱られるかと思ってたが
父は真面目に答えてくれた
社会人の先輩として
会社勤めの先輩として
物事の受けとめ方や気の持ちようをアドバイスしてくれた
母に対する違和感も話した
生まれてはじめて、自分の考えを言葉にして父に話せた
父は、なんだか嬉しそうだった
「おまえが、まともに育ってうれしい」
そう、言った
「おまえには、いい素質がある。いい幹を持っている。枝葉に振り回されなくてもそのままでいいんだ。こうやって弱いところのあるおまえも含めて、おまえのいいところなんだ。お父さんはおまえに何もしてやれてない。だから、もっと頼ってくれ」
そう、言った
「お母さんと一緒に、あそこに行くのはもうやめろ」
と、母と宗教の活動拠点へいくこともしなくていいと言った
父もわたし同様にカンがいいタイプなので、
わたしの悩みは他にもあることはわかっていたようで、他に悩みはないかと言ったが、わたしは正直に
「いいたくない」と言ってみた
父は、ニコニコしながら
そうか、そうかと言っていた
その時、わたしは、父の喜ぶ顔にイマイチ実感が湧かなかったが、今、思い返すと、わたしのことであんなに嬉しそうな父の顔をみるのは、はじめてだった
ずっと、父に喜んでもらいたくて、自分なりに父が喜ぶであろうことを考えてやっていたが、この時の父の喜ぶ顔は、それに匹敵しないレベルだった
父の一番の喜びは
わたしがわたしらしく
わたしの人生を歩く
それだけだった
わたしであること
それだけで、よかったのだ