祖母は4年ほど入退院を繰り返した

帰宅すると祖母がいるという、以前のような生活に戻ったけれど

体調の悪さと思ったように動けない祖母のストレスは溜まり

時に、わたしに向けられることもあった

 

しんどそうにしている祖母をみるとわたしは何も言えなかった

 

癌が進行し、全身に転移し、治療の限界となった時

母は仕事を辞め、祖母の看病に専念するようになった

帰宅すると、祖母も母もいるという今まで見たこともない光景だったが

癌の痛みをおさえるため、モルヒネを投与した祖母は意識が混濁して、うわ言を言い続けていた

大きな声で叫ぶこともあった

わたしは、そんな祖母をみるのが怖くてたまらなかった

怖いと思ってしまう自分は、なんてひどい人間なんだろうと思った

 

祖母が息を引き取る少し前に

わたしは祖母からこう言われた

「●●(従兄弟)をよろしく頼むよ。

あの子と血が繋がっているのは、おまえしかいないから」

 

その後、祖母は5年間闘病し、62才で他界した

癌の生存率は低く、短かった当時、5年間の闘病は珍しかったそうだ

がんばり屋の祖母らしい生きざまだった

 

わたしは14歳だった

 

 

祖母の葬儀のときの記憶はほとんどない

お棺の中にお花を入れる時、

お棺が火葬場へ入れられる時

親戚の誰かに声を掛けられ、なぜかピアノの下に座っていた時の記憶しか思い出せない

 

どうやら、わたしは、数日、放心状態だったようだ

葬儀後はずっと寝ているか、起きていてもぼーっとしている状態が続いたそうだ

 

そのくらい、わたしにとって祖母の存在は大きなものだったのだと思う

親代わりの存在だったのだ