父親がどうやら網膜剥離だったらしく
ピコーン(閃きました)
「おい、今日、父さんは網膜剥離の手術してきたぞ
」
と…
と…
出た!いつもの事後報告!
大丈夫なの?と尋ねると
「おう。やっぱり年かのぅ(父→今年、還暦)」
うむ。
ここは、深刻に受け止めるべきか…
(私の心の声)
すると、父は
「目の手術ってさー、こーやって、あーやって◯△※□▲◇(様子を説明)」
おう。
なんか、大丈夫そうだ
(私の心の声)
まぁ、ひとまず、大事に至らずよかった。
年も年だし、身体に気をつけようというところで、話が落ち着いたら、父が
「わし、若く見える?」
は?
は?
娘の私、思わず
「わからん
」
素直なアンサー(可愛げ&色気ゼロ)
すると、父
「どうやら、若く見えるらしいぞ!わし
」
おぅ、アピってきやがったな、父よ
さて、なんて答えてみようかのぅ
(私の心の声)
「真面目に生きてるからでしょ
」
と、答えてみたら
答えてみたら
答えてみたら
父、爆笑
日頃、家では基本ダンマリの
父、爆笑
「そうきたか!
最高の言葉じゃの!」
父、大喜び
娘、心でガッツポーズ
今日、仕事で受講した講演会で
私が一人で悶絶しながら
七転八倒を繰り返してやってきたことが
決して無駄なことではなく
懲りずにバカみたいにやってきたことが
素晴らしいことなんだと感じる瞬間に出会えた。
その講師の方はしきりに言ってた
■自分らしく
■自分を信じて
■心が喜ぶことを大切に
そうやって、自分の人生を歩いていってほしい
って、ことを伝えてくれた
私、最後あたりで泣きそうになった。
限られた人生を
与えられた環境で
自分の心と身体を使って懸命に生きることを選んだら
一人で歩かざるを得ないかもしれない
一人で歩くその覚悟を決めたとき
同じように自分の人生を歩く覚悟を決めて歩いている人もいることに気づけて
そこで一人ではないんだと思えるんだ
やっぱり、人は一人では生きていけないし
やっぱり、人はわかってほしい生き物なんだ
バカみたいに一人で悶絶して
バカみたいに七転八倒して
バカみたいにこだわって
失敗したり、自分の思い通りの現実が得られずに絶望したり、悲しんだり、傷ついたり…
けど、そんなバカみたいにやってきたのは、決して無駄じゃなかったなぁ
死 に たいって思えるほど、私は一生懸命生きてたんだなぁ
最悪だと思ってたけど、最高の人生を歩いているのかもしれないなぁ
って、思ったら、嬉しくなって心が喜んで
泣きそうになった
事後報告が定番の私の父親は
もしかしたら、私と同じように
懸命に生きてきた真面目な人なんではないか?
ふと、そう思えた。
父親が歩いてきた努力をスゴイと認めて
「真面目に生きてるからじゃない?」
って、言ってみたら
「最高の言葉じゃの!」
父親、大喜び(まさかのやつ)
なんだか、親孝行したっぽい、私
きっと、この娘の名言(?)は
今後、父の酒の肴になるであろう
自分の心が満たされると
他人の心も満たすことができる
子どもが自分の人生を幸せだと思えば
親も幸せになれる
これを味わえた日でした
今日も真面目に懸命に生きました
寝るべし