先日、我が子の保育園生活最後の運動会がありました
我が子のことだけじゃなくて、クラス全体を見てたらあんなに赤ちゃんだった子たちが一番上のクラスになってたのもしく成長してる姿にやっぱりじーん

毎回うるうるしながら見てしまいます
みんな可愛い

そして我が子は最後まで走る系はビリでした←
なんでだろう、本気を感じないんですよね
ま、無事に終わってよかったです
ただ、運動会では親子でやる催しがあって…
わたしが出ようか最後までずーっと悩んだんですけど…
周りみんなパパさんが出る雰囲気だった催し物だったので
我が子のことも考えて、
モトオットに出てもらったんです。
それはそれで
結果としては我が子は喜んでいて
周りもみんなパパさんだったので、うまい具合に溶け込んで?うまい具合に終わった感じだったので
とりあえずモトオットの存在があってよかった←
っていう感じで終われたんですけど
もちろん我が子にも誰にも何もいう気は無いのですけど
心の底で小さいモヤモヤが渦巻いていて
なんでわたしはこんな風にモトオットに頼まないとこういうイベントひとつこなせないんだろうか
自分が一人だとしてもこうやってあっけらかんと参加できる強さがあれば良いのに
なんで周りの目なんて気にしてるんだろう
っていう気持ちと
いやいや、我が子のことを思えばパパとの思い出だって必要だろ
我が子が喜ぶためなら自分の気持ちなんて押し殺せよ
ただでさえ離婚して我が子の人生に大きな影響与えてるんだから
っていう気持ちと
わたしが自分の力で生きて作り出したコミュニティにモトオットに入ってこられる不快感と
周りにモトオットを見られる羞恥心と
みたいなのがモヤモヤモヤモヤしてしまって
我が子のこと考えたら間違いでは無かったので、よかったよかったで終わる運動会にはできたのですが
わたし自身のこの渦巻いてる気持ちがどうにもモヤモヤしてしまって、
すみません、ここにだけ吐き出しました
普通の家庭を築きたかった
普通のパパに出て欲しかった
でも普通の家庭ってなに?
世の中にはこんなにもたくさんいろんな形の人生があるのに、わたしは何に恥じているの?
誰に対して恥じているの?
そんな自分も情けない
もっと大きな視点で物事考えてたいのに
このモヤっとした感情を持つことも情けない
でもどうしても振り返ると気持ち悪く感じてしまう
なぜわたしはモトオットの存在を借りないと過ごせないのか
なぜわたしはもっと快くモトオットを受け入れて我が子のために過ごせないのか
この2つの敗北感と罪悪感が押し寄せてくる
だから年数が経てば経つほど、
こういうイベント自体が苦痛になってきちゃって
親ひとりだけでも成り立つような見学スタイルであることを毎回願ってしまう
モトオットが絡むと毎回数日寝込むので←
しばらくしたらまた復活してくると思いますが
すみません、愚痴でした

この水筒めっちゃ使いやすいからもう一つ欲しい
食洗機対応してる水筒ってなかなかなくて、飲み口が暗めだからリップついても気にならないってのが最高
この靴も仕事履きで使い始めたらめっちゃ良かった
SUBUと迷ったけど、やっぱかかとたまに欲しくなるからこっちの方がいい
歩いてもモチモチモコモコしててとても気持ち良い
