我が子は習いごと一つしているのですが、
スケジュール的に難しかったり体調が悪い時はお休みをしています

振替ができるので、
日程が合えば振替をしていますが、
そんなに無理して振替をしていません

そんな時は一回分の習いごと代が無駄になるのですが、
まあ、もったいないっちゃもったいないけど
そこまでストイックに元を取ろう!みたいな
気持ちにはなっていません←
でもそんな時、
なぜか脳裏にはいつもいつも親に言われてきた
お前にいくらかけてきたと思ってるんだ
という言葉が流れます
何故

たしかに一人っ子だったということもあり
いま振り返っても相当お金かけてもらってきたんだろうなという自負はあります

それはありがとうというふうに思います

でも、
わたしが親になって思うことは
我が子に対しては
いくらかけてきたと思ってるんだ
なんて言おうという気持ちは毛頭無いってこと

わたしが我が子にお金をかけることなんて当たり前だし、別にそこに何ら貸しを作ってる意識はないです

それに最近思うのは、
親が子にお金をかけてるのは、子のためというより、自分のためにかけてるんじゃ?という気すらする

親が安心したくてお金かけてるだけでは?
とも

だから、
我が子にかけてきてるお金がたとえ何にもつながらなかったとしても
我が子に対して
こんなにお金かけたのに
なんて思うことは無いだろうなって

でも、
同時に最近悟ったことがあって

わたしなんだか自分の親はもう子育て終了してるから完成系みたいな感覚で察してた気がするんですよ

だから余計に
何でそんなことが言えるの?
何でそんなこと思えるの?
って何で何でって疑問がいっぱいで信じられない気持ちだったんですけど

親も
30代の子どもを持つ経験は引き続き初体験中なんですよね



だから正解を出せるわけないんだよなって

親が30代の子どもであるわたしの接し方を正しくできてるわけないんですよ、なにせ初めてだから

そう思ったら、
なんか許せてきたというか
仕方ないか、初めてだもんね、子育て

という気持ちになります←
親にはもう適度な距離で接することを決めたし
親だから受け止めてくれるはずなんていう思いは捨てたいし
わたしはわたしで
とにかく自分の人生に集中して

自分で自分を幸せにしていかないとなと思ってます

我が子ったら女の子から
だいすき
って書かれた手紙もらって帰ってきました
いいなー←
髪の毛長過ぎて
こういうヘアクリップつけて過ごしてみたいんだけど不器用すぎてヘアクリップすら止められない
朝、
我が子が卵焼きを作りました
上手にできたねー



買うぞ、と意気込んでるものたち


