みなさん、
おはようございます。
【朝の道標】を見に来ていただき、
ありがとうございます。
今日も夏休み特別企画、
「学校教育の闇」をお届けします。
今回は【教員不足のスパイラル】の2回目、
「教員の質は本当に下がっているのか」という問題について、
お話をしていきます。
教員の質といっても、
現状ではその判断基準がないので、
はっきりとした答えを出すことはできません。
しかし昨今のマスコミの報道を見ていると、
教員同士でいじめをしているとか、
教職員が児童や生徒に不適切な指導をしている事件が報じられ、
良くない先生がたくさん増えているような印象を受けます。
では実情は一体どうなっているのでしょうか。
たしかに、
最近は教員を大量に採用しているため、
若い先生の比率が高まっており、
経験年数を基準に考えると、
質は低くなっているように見えます。
でも若い先生には情熱があり、
その一生懸命取り組む姿勢は、
マンネリ化したベテランの先生を鼓舞することもあり、
決して質を低下させる原因とは言えません。
それよりも問題なのは、
採用されて1年目の先生を指導をする先生です。
残念ですが、
この新人教育に当たる先生は30年前に教員となった、
古き伝統を重んじる保守タイプの先生が多く、
変化の多い現在の教育を導くには少し頼りないのです。
この保守タイプの先生から指導を受けると、
若手の個性や突出した能力をそぎ落とされ、
ありきたりな教育方法を強要されてしまい、
結果的に質が低下してしまうのです。
その仕組みを少し具体例を入れて解説します。
教員の世界における新人教育は、
今までの教育方法を踏襲した、
「普通」の教育が行われています。
ちょっと抽象的な言い方をすると、
「普通の先生」が「普通の子供」を「普通の大人」へ育てる教育です。
なぜそんな教育方法になっているのか。
それは30年ほど前の日本が求めていた人材が、
工場で指示された仕事を真面目にこなす人材であり、
学校ではそういう大人を育てることが求められていたからです。
だからまず学校の新人教育では、
指示された仕事を真面目にこなす、
「普通の先生」になることを求められるのです。
でも今の教育現場では、
外国籍の子供も増えており、
「普通の子供」ばかりとは言えません。
さらに求める人材も、
工場で働く「普通の大人」よりも、
国際社会で活躍できる、
「自律した大人」になっているはずです。
確かに「外国語」の授業が広まり、
「英語」が小学校低学年から教えられるようになりました。
ところが、
日本に住んでいる外国籍の方々を見ると、
英語圏から来日された方は全体の10%にも満たないのです。
「外国の人に英語で話しかけたのに伝わらない。」
そんな経験ありませんか?
これは、
「外国語 = 英語」が普通という、
現実と合っていない「普通のズレ」による弊害です。
ちなみに法務省の資料によると、
2019年における日本在住外国人の出身地は、
84%がアジア圏でした。
(資料のリンク先を添付しておきます。)
https://www.moj.go.jp/isa/content/001370057.pdf
このような「普通のズレ」が起こっている教育現場で、
今の日本が期待する教育が行われているとは思えません。
つまり、
「普通のズレ」⇒「期待ハズレ」⇒「質の低下」という、
構図が出来上がっているのです。
結果、
教員の質は低下しています。
そして教員の質とは、
「経験年数」ではなく、
いかに「社会の期待に応えるか」なのです。
そのために、
この「普通のズレ」を解消し、
学校現場と現実社会を密接に繋ぐバイパスが必要です。
それは公立学校のように、
教育委員会や文部科学省から支持を待つような、
時間や手間のかかる方法では難しいでしょう。
それよりも学校と地域社会が直接交渉し、
独自に判断できるシステムが必要です。
現在でも学校アンケートを毎年行っていますが、
現状を確かめるだけで、
地域にも学校にも新たな改善が起こりにくい状況です。
あえて提案するのなら、
教育委員会が校長を指名するのではなく、
その校区の自治会に委託してもいいと思います。
そうすれば、
その地域に求められる校風を地域の方々が直接選ぶことができ、
現実に合った教育活動につながるかもしれません。
このように変化の大きい現代では、
小規模で早い展開ができるシステムが必要であり、
そうすることで「普通のズレ」が解消できるのです。
今、
このような苦しい教育現場に入ってきてくれる方々は、
強い意志と情熱を持っておられる方々だと思います。
そして、
その方々が未来の日本を支えてくれていることを、
強く期待し深い感謝を持っていることを、
最後にお伝えさせてください。
さあ、今日も新しい一日のスタートです。
元気に、いってらっしゃい!