最近はほんの少し自分を責める気持ちが和らいだというか、己の力不足を思い悩みながらもある程度仕方なかったのかと考えるようにもなってきました。


今から5か月前、2024年1月、年明けの頃です。

彼女の体調が目に見えて悪いなと思い始めたのは。

私が認識する中では12月に入って風邪を思わせる症状が出てきた頃からですが、12月の間は風が長引いているくらいにしか思っていなかった。

年が明けてから、彼女が背中や腰が痛いと訴え始めて、相変わらず咳や痰がらみが治らなくて。

ずっと咳が続いていたというのが1番分かりやすくて明らかな症状だったので、本当に気管支炎など呼吸器系の病院なのかと思ってはいました。

なぜ背中や腰が痛いのか、寝違えた?ぎっくり背中?とか2人で分からずにいました。

とりあえず1ヶ月以上も咳が続いているのはおかしいからと、ついでにその背中の痛みのことも病院に行って相談してきて、と彼女には病院に行ってもらいました。仕事帰りの街の内科でしたが…


案の定、喘息になりかけと診断され気管支を広げる薬や喉の炎症を抑える薬をもらって1週間服用して様子を見ました。本当は喘息は喘息でも心臓喘息ではありましたが… まさか心臓から来てるとは思わなかった。


私が一番後悔しているのは、その薬をもらってから1週間後、飲み終えても症状は大して良くならなかった。

その時にもう一度、今度は私も彼女と一緒に病院に行ってあげれば良かったということです。

たまに症状が楽になる日もあったようですが、やはり息苦しさや、咳は治らず、1月下旬に入る頃には食欲も無くなってきていました。彼女は職場で胃腸炎流行ってるから罹ったかもと話していましたが…

実際はうっ血性心不全によるものでした。

良くなってないならまた病院に行ったら?と再三言ってはいましたが、「やだ、怖い」という言葉を返された時にもっと深刻にその言葉を捉えればよかった。

普段から彼女は病院に行くのが嫌いな人ではありましたから、いつもの行きたくないかと思っていましたが、今回ばかりは看過してはいけなかった。

彼女自身はもっと自分が恐ろしい病気を患っていることを薄々勘づいてはいたんじゃないかとは思います。



ただ、彼女は全ての症状を私に教えてくれたわけではありませんでした。例えば胸が痛いとか、痰に血が混じっているなど。そんなことを私に言えば、絶対心配して今すぐ病院に連れていかれちゃうと思ったのかな。

それを聞いていたらもっと私も深刻に考えていたと思いますし。今だからわかる、彼女はずっと自分の症状を隠し続けてきたこと。

健康診断で高血圧症や糖尿病、そして心肥大をしてされていたこと。高血圧も数年前から慢性的に続いていてその数値もかなり高い数値であったこと。

今だからわかる。生きていた時には何も話してくれはしなかった。なんなら血圧に関しては私に嘘をついてまで高血圧症であることを隠してた。

私は彼女がそこまで病状が深刻だということを何も知らなかったのです。だから心不全で亡くなったことを警察から聞いた時は驚きと戸惑いしかなかった。

大動脈弁狭窄症のことも彼女本人は定期的に心エコー検査を受けていたようなので、知っていたはずなのに。

私はおろか、彼女のご両親ですら知らなかったことです。彼女の体調を気遣うにしても、私の配慮や知識が足りていなかったのは間違いないですが、そこに至るまでの情報がなかったことは私にはどうしようもない、だからその点については仕方ないのかなとも思うのです。

なぜ何も話してくれなかったんだろう、1人で全て抱えて1人で逝ってしまったのだろう、ここ数ヶ月ずっと私が思い悩んでいたことです。

もし1月の時点でもっと大きな病院に診てもらえれば、そう彼女を説得させられていれば、私がもっとしっかりしていれば、彼女はまだもう少し生きられていたかな… 今さら考えても仕方のないことですが…


彼女自身が一番辛かったのは間違いない。

なぜまだ20代なのに、生活習慣が悪い訳でもないのに、高血圧や糖尿病に悩まされなくてはいけないのか。なぜ、大動脈弁狭窄症という心臓弁膜症を20代のうちに抱えなくてはいけないのか。なぜ普通の健康的な生活を送れないのか。きっと彼女は誰にも相談できずにずっと今まで1人で悩んできたのかなと推測しています。

それは大切な人であればあるほど言えないことなのかもしれない。人に心配かけることを特に嫌がる人だったから。

でも命に関わることならどれだけ周りに迷惑かけても話して欲しかったな…

そんな心の内に気付けなかった、何も知らずに過ごしていた自分が恥ずかしいし、情けないし、悔いが残ります。

彼女との時間は当たり前では無い、だから一緒にいられることを大切に幸せに思ってはいました。だから彼女との時間の過ごし方に悔いは無いです。彼女のことを幸せな思いにさせてあげられた、そういう自負もあります。でも結果彼女を亡くしてしまった。彼女が叶えたかった夢。私と結婚すること、猫を飼ったりどんな形であれいつかは子どもをもって、家庭を築くこと。これから楽しいことがたくさんあったはずなのに。それらがもう叶えられないことが本当に悔しく無念です。きっと何より無念で未練を抱いているのは彼女かもしれません。

私はただただ、裕福でなくていいから彼女と一緒にいたい、それだけで良かった。普通の、ありふれた小さな幸せをずっと感じて生きていたかった。

もうそんな望みすらも叶わないようです。


たくさんの後悔の念を未だに抱いたまま、きっとこれからも抱き続けたまま、生き続けていくのかもしれません。


2024.06.08