初盆と墓問題
祖母の初盆が無事に終わりました。朝早くから、車を出したり、食事の用意をしたり、お寺や会場の準備に大忙しでした。バタバタしながら、無事に食事を終えて全員が帰った後、寂しくなった会場と祖母の写真を見て、人が亡くなるって悲しいことだけど、同時に大変だなと思いました。忙しくすることで悲しむ時間が短くなったり、長年顔を合わせることのなかった親戚が集まるきっかけになったりと「死」によって繋がりを感じることができるのも確かです。しかしながら、死後遺された人の負担はやはり大きいです。父は直葬を希望していますし、私も散骨を希望しています。理由としては遺族の負担を減らしたいからです。父も同じだと思います。お葬式の負担はもちろん、その後残るお墓は経済的な負担だけでなく、墓参りや維持などの肉体的な負担ももちろんあります。墓の意味や価値感が変わりつつある現在。共同墓地が一口100万円。家族葬も驚愕の価格。孤独死したらどうなるのか?などと、死んでもそれでお終いというわけには行きませんよね。私は自然に帰るという意味でも散骨を希望しています。もし未来の配偶者が一緒にお墓に入りたいと言ったら入るかもしれませんが、、、帰りの車の窓から道端のお墓に色とりどりの生花が手向けられているのを見ると、こんな時代でも未だ文化が残っていることに感じるものがありました。散骨への意思が揺らぎそうなほど綺麗でした。数年後も、まだ同じように花が飾られていることを密かに祈っています。