重い心不全と言われたが

元気に食事をとり 

会話もできていた父。


2週間ほどで

ICUから

一般病室に変わる予定だった。



呼吸状態が悪いので

退院は

とても高い壁なのかもしれない。


自由に歩き回ることが大好きな父に

ベッドに寝ていろと言うことは

父にとって地獄の始まり


ICUは看護師さんが

常についてくれているので

当然 手厚い。

かまってちゃんの父にはもってこいの環境。



一般病棟に移ってからが問題。


どうしたものか 魂


5年過ごしているホームの居室に

帰りたいのか

『家に帰りたい』

ではなく

『部屋に帰りたい』

とずっと訴えている。


帰れるとはなかなか思えないが

念の為 ケアマネさんに

入院中に介護認定の見直しをお願いしよう

今は要介護2だが

歩けなくなったら

要介護3に上がるだろう

そうなったら

特養に移らせてもらおうか

同じ建物内だし

慣れてくれるだろうか


あれこれ悩んでいた。



ICU5日目を迎える日

朝4時半にスマホが鳴った。



爆睡中には決して起きない私なのに

その日は

寝落ちして夜中に目覚め

お風呂に入り

もう一度寝るか迷って

スマホの時計で時間を確認していたところだったので

すぐに出ることができた。


父が急変したことを告げられ

姉と走った。


父は喋れたし

元気に見えていた。


両手を二人の娘に握られ


『今 死ねたら 幸せや〜』

などと言っていた。


この調子なら 仕事に行けるかなぁと

思っていた。


のに


その2時間後に

あっという間に旅立ってしまった。


待ち焦がれていた孫の結婚式まで

あと2ヶ月と5日だった。



あんなに楽しみにしていたのに

豪華旅の準備完了していたのに


せっかく 親子喧嘩なくなったのに



それでも

心の半分は納得もあった。


かまってちゃんの父が


ICUで 若くて優しい看護師さんに

つきっきりで看病してもらい


娘たちについてもらい


このタイミングで逝こうと決めたかのようだった。



母に先立たれ

死にそびれたと愚痴ることもあった。


一般病室や

老人病院での入院は

制限嫌いの父には無理だったと思う。


両親共に

病院で死ぬのは嫌だ

延命治療も嫌だ


そう言われていたので


母の時は

無理やり退院させてもらい

ホームで日常生活を送りながら

孫に会わせたり

最後の日まで

一緒に過ごし

静かな最期を見送ることができた。


なので


父の

救急車要請をすごく迷った。

本当に迷った。


もう帰って来れないこともありうると

覚悟しなければならない。



救急車の中で酸素マスクをつけてもらって

『少し楽になりましたか?』

と聞かれて

『はい』

としっかり返事して

また会話ができるようになった。


救急車要請は

正解だったと思うことにした。


コロナ禍でホームの面会時間も限られている中で

父の横に約4時間ついてあげられたこと

そのことが

今は支えになっている。




看取り


難しい問題


みんな 悩んでいると思う。


私の話が 少しでも参考になってくれたらと思って書きました。



お父さん ありがとう


タイムラインセラピーのおかげで

呼吸が落ちてきた時に

ありがとう、育ててくれてありがとうを言えた。


意地を張って喧嘩したまま

見送ることにならず

よかった。